たまには付き合いなさい、と凛がアーチャーを連れ出したのは、ヴェルデに最近できたパンケーキ専門店だ。元は別の喫茶店で、その内装を少し改装して席などはそのまま利用しているらしい。
クリーム色を基調とした店内は明るく、見回すとやはり女性客が中心となっていてどこか華やかさを感じる。もちろん、中にはカップルらしき組もいて、凛とアーチャーが一緒に入店したとて違和感はない。――アーチャーはそもそも外見が目立つのだが、それはそれ。
店員に案内された窓際の席に着き、カラフルなメニューを捲る。パンケーキはどうやらデザートだけでなく食事系もあるらしく、後ろの方を見ると卵焼きやベーコン、野菜等が載った写真が出てきた。パンケーキ自体はどれも厚さがあり、見るからにふわっとしている。
「こういうのって写真と実物に乖離があったりするけど、どうなのかしら」
「……凛、こういった洒落た店なら、君の妹と来た方が良かったのではないかね」
「だから来る時に言ったでしょ。桜に不味い物を食べさせる訳にもいかないって。味見よ味見」
半分はただの口実だ。同じ屋敷にいるというのになかなか一緒に出掛けようとしないアーチャーを連れ出したかった、というのが本音。けれど毎回うまいこと躱されてうまくいかず、今日だって無理矢理説得して連れてきたのだ。今更屋敷に戻ると言われたって譲るものか。
「それよりあんたも何か食べなさいよ。わたしだけじゃ変でしょ。……ああ、こういうときに無駄なお金は、とか言わないでよね」
「む……」
図星だったのか、アーチャーは口を固く閉じてしまった。
彼が何を考えているのかなどおおよそお見通しだ。そういう悪癖とも呼べるアーチャーの性質が改善されればいいのだが、正直難しいとも思っている。だからこうして凛が逃げられないように仕向けてしまった方が手っ取り早いし、これまで自分を甘やかすことをしてこなかった男なのだから、これくらいでちょうどいい。
凛がデザートパンケーキを選んでからアーチャーへメニューを手渡せば、何を言っても無駄だと思ったのか渋々ページを開いて見始めた。けれどすぐに決めたのか元々決めていたのか、十数秒ほど眺めたところで店員を呼び止めた。
***
しばらくして運ばれてきたパンケーキは、メニューに載っていた写真の通りお洒落に盛り付けられていた。
凛の方は苺とブルーベリー、バターと生クリームが添えられたもの。アーチャーの方は食事系で、レタスとほうれん草のソテー、それからスクランブルエッグとベーコンが添えられたもの。
パンケーキは触れるとぷるぷると揺れ、まるでスフレケーキのよう。すぐに食べるのがもったいないと思いつつ、凛はそっとナイフを入れた。
小さく切ったそれを、フォークに刺して口に運ぶ。
途端。サファイアの双眸がきらりと輝いた。
「ん〜〜! 美味しい! こういうパンケーキって食べたことなかったけど、普段食べてるのと全然違っていいわね。これなら桜も気に入ってくれるかしら。そっちはどう、アーチャー?」
「食材の火の通りも丁度いいし、味付けもなかなかだな」
「アーチャーがそう言うなら間違いなさそうね。――ね、そっちも一口貰っていいかしら」
「構わんよ」
アーチャーが寄せてくれた皿から、パンケーキ一口分とベーコンを一緒にフォークに刺す。そのままぱくりと口に入れると、カリッとしたベーコンの食感とふわっとしたパンケーキの食感がなんとも絶妙で、思わず凛は頬を抑えた。
「こっちも美味しい……! 塩加減も好みだわ。ありがとう、アーチャー。こっちも食べてみる?」
「いや。私はこちらだけで充分だ」
「そう? 食べたくなったら言ってちょうだい」
自分のパンケーキを、今度はバターと生クリームを付けて食べてみる。カロリー的にやや罪悪感はあるが、夜は控えめにしてトレーニングを追加すればなんとかなるだろう。普段だって一応気を付けているのだから。
思って、もう一口。それから一緒に運ばれてきた紅茶を口直しに飲んで、ほっと息を吐いた。
なんとなしに、窓へ視線を向けてみる。冬木の今日の空は雲一つない青が広がっていて、桜も見頃を迎えているせいか外に設置されたベンチには人が多い。行き交う人々もどこか陽気で、ああ、春だな、と僅かに気が抜ける心地がした。
ふと、視界の端に何かが見えた気がして凛は一瞬固まる。気付かれないように、あくまで外を見ているのだと装いながら窓越しにソレを見た。
「――――――」
映っていたのは、目の前に座る男の表情。仕方がないなと呆れるような、どこか優しそうな。普段滅多に見せることのない、心の裡から零れたような微笑。
それは――ちょっと不意打ちすぎるのではないか。
ドキリと心臓が音を立てるのを聞きながら、凛はついぼうっとしてしまう。
――と、そんな凛の様子が不自然なことに気付いたのか、アーチャーはいつもの訝しげな顔に戻って訊ねた。
「……む? 凛、どうかしたかね」
「べっ、別に。なんでもないわ」
凛は視線を合わせないまま、誤魔化すように紅茶を飲む。
本来座に還るべき彼を引き留めたのは凛だ。彼にとっては迷惑だったかもしれないが、それでも凛でも想像がつかないような努力と研鑽をこれまでしてきて、死後の安らぎすらも誰かのためにと切り捨ててしまった彼を放っておくことなどできなかった。
彼が生涯肌身離さず持っていたというペンダントの縁が凛と繋いでくれて、半ば無理矢理とはいえ聖杯戦争後もこうして現界しているのだから、少しは報われて欲しい。たとえ分霊の一つであったとしても、幸せだった記録として座に残るならば――。
ティーカップをソーサーに戻してから、凛はできるだけ平静を保って微笑んだ。まだ少し早い心拍数は、今だけ知らないふりをして。
「アーチャー、帰ったら紅茶淹れてちょうだい。これだけは、貴方が淹れた方が好きだわ」
「フッ。了解した」
――願わくば、今日の思い出も彼の中に刻まれますように。
end
2023.03.21 初出