「む……? 凛、君がその帽子を被っているのは初めて見るような気がするのだが」
「ええ、この前桜と買い物行った時に買ったのよ。そろそろ出番かなーってね」
よく目にする茶色……ではなく白に近い、つばが広めの麦わら帽子を被った凛は、「どう?」とその場でくるりと回った。同時に、帽子に結び付けられた大きめの白いリボンと、濡羽色の髪がふわりと舞い踊る。今日着ている黒いノースリーブのワンピースと対照的な色ではあるがよく合っていて、非常に夏らしい。
「ふむ……君が白い物を身に着けるのは珍しい気もするが、涼しげでいいのではないか」
思案するように指先を顎に当てながらそう言えば、凛はご不満なのかじろりとサファイアの瞳をこちらに向け頬を膨らませた。――そんな表情もまた彼女らしくて好ましいと思ってしまう私は重症なのだろうが。
「もう! そういうことじゃなくって! 似合ってるかって訊いてんのよ!」
「なんだ、そんなことか。ああ、似合っているとも。君が身に着ける物なのだ、似合わないはずがない。それに……とても愛らしいな」
「なっ――――! ま、またそうやって歯の浮くようなことを……」
照れているのか恥ずかしいのか、今度は赤く染まった頬を隠すように帽子のつばを掴み、腕の影からこちらを見上げた。本当に、表情がころころと変わる様は見ていて飽きない。
学校では優等生としての遠坂凛。日常生活では魔術師としての遠坂凛。私の前でも魔術師として振る舞うことが多いが、時折見せるこういった年相応の少女としての顔は他で滅多に見せることが無く、ちょっとした優越感を抱くというものだ。
判りやすく可愛い様子に頬が緩みそうになり、それを悟られぬよう必死になっていると、帽子の下から「でも……」と小さな囁き。聞き逃さぬようそちらに集中すれば、僅かに頬を染めながらいつもの勝気な視線を向けてきた。
「でも、たまにはこういう色もいいでしょ? アンタとお揃いよ」
「――――」
こういったことは過去何度もあったし、もう慣れたつもりだ。しかし、凛の不意打ちに思わず息を詰まらせる私がいた。凛も狙っていたのか、勝ち誇ったような笑みに変わっている。
未熟者だった頃の私であればおそらくあからさまに狼狽ているのだろうが、今の私は反撃の術を知っているし、その後の反応もおおよそ予想がつく。――尤も、時折こちらが予想していなかった返しがあるため、確実とは言い難いのだが。
どうにか表情に出さないようにして、私は両手を帽子のつばの方へ伸ばした。何をされるか判らないためか、凛がぎょっとこちらを見る。その様子がまた可笑しい。けれどそんな凛の動揺に気付かぬフリをしながら、腰を折り視線の高さを揃えた。
「言われてみれば……なるほど。確かに、私の髪と同じ色だな。ならば――」
先ほど凛がそうしていたように、帽子のつばを下げ彼女の顔を僅かに隠す。直後、一瞬の隙に顔を近付け、柔らかな薄桃色へ触れた。重ねたのは一秒ほどではあったが、心地よい弾力と温もりが己のそこへ余韻を残す。
何が起きたのか理解が追いついていないらしく、目を白黒させるマスターににやりと笑った。
「ならば、外でこうしても誰にも判らんかもしれんな?」
「なっ――!? わ、わわわわ判るに決まってんでしょ! アーチャーの馬鹿!! ぜっっっったい外でなんかダメなんだから!!」
「ほう……? では、邸でなら構わんのかね」
「そ、それは………………そんなの、ちょっとは察しなさいよ」
――本当に、彼女の可愛さは判りづらい。腕を組みながら顔を背ける様子は、他の者から見れば癇癪を起こしているようにも見えるだろう。だが、そうではない事を私は知っている。……私だけが、知っていればいい。
思わずふっと笑い、まだ薄らと赤い頬に手を伸ばす。
「……凛」
「――――アーチャーって、やっぱりズルいわ」
どこか諦めたようにも聞こえる少女の言葉。けれど次の瞬間には何かを期待するように微笑み、ゆっくりと深海の瞳を隠した。
彼女のサーヴァントとして、期待には応えねばなるまい。私はそっと小さな輪郭を上向かせ、再び自らの顔を寄せた。
end
2020.08.08 初出