「あと一ヶ月くらい遅かったら、《いい夫婦の日》だったかもしれないのか……」
デザートにと明日奈が作ってきたアップルパイを綺麗に平らげると、隣に座る和人がぽつりと呟いた。
「何がいい夫婦の日だったかもしれないの?」
浮かんだ疑問をそのままぶつけると、やや照れ臭そうに苦笑しながら漆黒の瞳がこちらを見る。
「俺たちの……その、け、結婚記念日」
頬がやや赤くなっているような気がするのは初冬の空気のせいか――。和人は決まり悪そうに、その頬を指先で掻いた。
十一月二十二日の今日は、その語呂合わせから《いい夫婦の日》と言われている。もちろん日本だけだ。特別何かをしないといけないわけではないが、中にはそんな記念日にあやかって夫婦で外食や買い物に行ったり、プレゼントを送り合ったりするらしい。――もちろん明日奈の家でそんなことは皆無だったため、里香やクラスメートたちに訊いた情報だが。
明日奈と和人はまだ高校生の身のため結婚はできないが、約一年前にSAOの中で結婚していた。その日付が十月二十四日で、ちょうど一ヶ月ほど前。先月のその日はALOにログインし、ユイを交えた三人でささやかなお祝いをしたことも記憶に新しい。
ふと、隣から「あー……」と何かを思い出したような声が上がった。
「SAOがクリアされたのってもっと前だろ? だから結局今日は無理だったなーって」
「そのまえに、キリトくんは《いい夫婦の日》なんて知らなかったでしょ?」
「うっ……仰る通りで…………」
案の定図星だったらしく、言葉を詰まらせる和人に思わず苦笑。けれどすぐに微笑みに変え、遠い日が脳裏に過るのを感じながらそっと瞼を閉じた。
「でも、わたしは今日じゃなくて良かったかな」
「なんで……?」
不思議な色を浮かべる漆黒に、明日奈がにこりと笑う。
「二人だけの特別な日、だから……」
今まで何でもなかった日が、特別な日となったあの瞬間。目の前にある全てが愛おしく、この上なく尊いと思えた。世界の全てが色付いて、この思い出を抱いたまま消えるならそれでもいいと、何も怖いことはないのだと――。
唇に触れた柔らかな感触が、明日奈を追憶から引き戻した。気付くと和人の顔が目の前にあり、先ほどの温もりが何だったのかを悟った。
「き、キリトくん! ここ学校だし、みんなからまる見えじゃない!!」
「あ、え、えっと……すまん、つい……」
「う~~……」
「その……いい夫婦の日に免じて赦しては頂けないでしょうか……」
両手を合わせ必死に頭を下げる和人に、明日奈は怒る気も失せる。仕方がないなあ、と息を吐くと、いらずらっぽい笑みを浮かべながら和人の耳元で囁く。
「いいよ。その代わり、夜は《ALO》(あっち)で待ってるね」
end
2018/11/22 初出