「何度言えば分かるのだね、ミリーゼ大尉。迎撃砲の使用は許可していないだろう。仲間を危険に晒してまで豚共を助けるなど、軍人としてあるまじき行為だ」
ドン、と机に拳を叩きつける。そんな上官にピクリともせず、レーナは冷え切った視線を送るだけ。
呼び出されたかと思えば、いつも出る言葉は同じだった。軍人として、などとどの口が言えるのだろう。
部屋というのはその人の個性が出るというが、彼の執務室であるこの場所は、まさにその性質が如実に表れている。自らの地位と財を見せびらかし、家族思いだと見せかけて自分だけが良ければあとはどうてもいいという、性根から腐り切った人間性。
もっとも、それを口にするつもりは毛頭ないのだが。こんな人間でも上官であるし、それに、こういう人間だからこそ、レーナもやりたいように振る舞えている。レーナが実績を作ることで、彼の立場も上がっていく。ある意味WIN-WINの関係と言えるだろう。
そんな上官へ、レーナはふ、と冷笑を向けた。
「彼らを助けるため? 彼らだけでは国防が難しいので、わたしが迎撃砲を使ってこの国を守っているだけです。何を勘違いされているのですか、中佐殿。それに、使用の許可を最初から下していただければ問題ないのでは?」
「っ……貴様、」
「そういえば、最近勲章授与されることが増えたそうですね。――いったい、誰のおかげなのでしょう?」
被せるように言えば、今度こそ上官は立ち上がり声を荒げた。
「言わせておけば貴様ッ! ただの豚共のために大尉に降格した小娘風情が生意気な口を……! 黙っていれば偉そうに……ちっ、〝鮮血の女王〟と呼ばれるだけのことは――……」
そこではっとし、口を閉ざす上官。うっかり漏らしてしまった、という顔。
どうやらレーナの知らない所でそう言呼ばれ始めているらしい。壁の中からまともに指揮を執るわけでもなく、自分たちは関係ないとのうのうと高みの見物をしているだけの共和国軍人だが、人の異名を考えられるほどに暇なのか。
けれど。
レーナは銀色の瞳を苛烈に染めたまま、口角だけを上げた。
「〝鮮血の女王〟ですか。……どなたが言い出したのかは存じませんが、いいセンスをお持ちですね」
むしろ好都合だ。
銀髪を一房赤く染め、軍服を黒く染め。亡くなった顔も知らぬ彼らの血と、そしてその死を背負って歩もうとする自分には、酷く似合いな異名ではないだろうか。――まるでパーソナルネームだ。共和国がエイティシックスと呼ぶ彼らと、生き残った者だけに与えられるという名と同じ。
「そう……、私は指揮管制官。彼らを戦わせ血を流させ、その犠牲の上で生きる女王です。もっとも、女王なのですから、彼らのために使える力を使うのも当然のことだと思いますが」
だから使える迎撃砲を使っているだけだと言外に込める。
彼らの女王だと共和国の誰かが言うのであれば、尚更都合がいい。
許可が下りようが下りなかろうが、やれることは全てやるし、使えるものは使う。人も、物も、立場も。一人でも多く生き残ることができるのなら、自分が生き残るためならばなんだってやってやる。
わたしはもう、――逃げない。
「く…………っ! 思い上がるのもほどほどにしたまえ、ミリーゼ大尉」
「失礼しました、中佐殿」
苦虫でも潰したような表情の上官へ姿勢を正し、敬礼を送る。さっと踵を引いて、そのまま反転。
鋭い視線を背中に感じながら、レーナは執務室を後にした。
***
『がっははははは! いやーそこに居合わせたかったよ!』
傑作だな! と同調の向こうで豪快な大笑いが聞こえる。なかなか絶えないから、相当ツボにハマっているらしい。
「そこまで笑うことないじゃないですか、キュクロプス」
笑い話にでもなるかと思って口にしたが、想像以上に面白がっている。レーナは思わずむ、と唇を尖らせた。
『だってよぉ、あまりにあんたらしいからさ。……しっかし、〝鮮血の女王〟ねぇ。いいじゃないか、今度からハンドラー・ワンじゃなくて女王陛下って呼ぼうか』
「ちょ、ちょっとやめてください……。冷静になると、そう呼ばれるのは少々恥ずかしいので」
『あんただって普段、名前じゃ呼んでくれないだろ? 女王陛下』
「もう……」
揶揄うような口調のシデンに、レーナは苦笑で応える。気に入ってしまったような気配が漂っているため、今後はずっとこれで呼ばれそうだ。
『にしても、犠牲の上に立つ女王、か。ま、作戦中にヤバい指示が多いのは間違いないが、それで隊の半数以上がまだ生き残ってるんだからな。八六区でこれだけ生きちまったらたいしたもんだ。……今後も頼りにしてるよ』
「ええ、こちらこそ。報告書だけ、あとでお願いしますね」
『はいよ』
微笑みの気配を感じた後、同調が切れ夜の静寂が訪れる。
デスクランプの淡い光だけが灯る自室で、レーナはほ、と息を吐いた。
机上に立て掛けたコルクボードには、今担当している戦隊で生き残っているプロセッサーの似顔絵。それから、もうここにはいない、彼らの――。
ふと視線を落として、広げたままの手紙と写真を視界に入れた。
これがあるから、……彼らが信じてくれたから、今の自分がある。生き残れと言ってくれたから、もう迷うことなく、そのための道を歩もうと決心がついた。
――いつか、おれたちが行き着いた場所まで来たら
花を供えるために、ここで死ぬわけにはいかない。いつか彼が言っていた、〈レギオン〉の大攻勢が始まるのだとしても。生き残って、戦い抜いて、彼らをその先へ連れて行くために。
もう、無力で弱虫なハンドラーなんかじゃない。
だってわたしは、――――〝鮮血の女王〟なのだから。
end
2022.06.22 初出