雨と彼とワイシャツと

 天気予報では雨が降るなんて出ていなかったのにと、レーナは恨めしい気持ちになりながら空を見上げた。
 厚ぼったい雲は、まだ退いてくれそうにない。

 
 案内します、とシンに連れられてやって来たリュストカマー基地の隣街、フォトラピデ市。レーナは下ろしたての白いワンピースに身を包み、少し緊張しつつもふわふわとした気持ちで、シンと並んで歩いていた時のことだった。
 晴れていたはずの空が急に暗くなり始め、かと思ったら、屋根の下に入る前に土砂降りに見舞われた。見つけたカフェの軒先に入ったのはいいものの二人ともずぶ濡れで、ワンピースの裾を絞っても絞っても水が落ちてくる。おまけに、雨が止む様子はなくこれでは基地にも戻れない。
 羽織っていた黒いワイシャツを脱ぎぎゅっと絞っているシンを見上げて、レーナは柳眉を下げた。
「すみません、いつもは折り畳み傘を持っているのですが」
 今日は降水確率ゼロパーセントだと予報が出ていたし、街を歩き回るのに邪魔になってしまうかもしれないと、たまたま置いてきてしまった。こんなことになるのなら持ち歩けば良かったと、レーナは肩を落とす。
「いえ。おれも、まさか雨が降るとは思っていなかったので」
 言いながら首を振ったシンは、レーナの方へ視線を向けた途端、僅かに目を見開いてから、なぜか頭ごとぐいっと反対側を向いた。
「っ、」
「? シン……?」
 覗き込んだ表情はいつもの如く感情が淡いが、よくよく見れば困惑の色が浮かんでいるような気がする。急にどうしたのだろうと思っていると、肩から黒いワイシャツが掛けられた。
「これ、着ていてください。濡れていますが、絞ったので多少ましだと思います。基地に戻るまで返さなくていいです」
「でも、シンが寒くなってしまうのでは……」
「おれは大丈夫です。それより、レーナが風邪を引いたら困るので」
「あ、ありがとうございます」
 頑なにシャツを受け取らないシンにお礼を言うと、シンは少し肩の力を抜いたようだった。
 落ちないように、レーナはぎゅっと胸元でシャツを握る。すると、ふわ、と香ったのは雨の匂いとシンの匂い。彼は香水をつけていないからそのままの匂いで、なんだか落ち着く気がする。……とレーナは思って、そんなことを考えたと自覚した途端に、かあっと顔が熱くなった。
 シンにはバレていないと思うが、作戦中に〈ツィカーダ〉を着た時に一度だけシンの軍服の上着を――レーナ自身は最初は知らないままに――借りたことがあった。あの時も少し大きいなと思いながら着ていたが、今回のこれも体格差を意識せざるを得ないくらいには、やはりレーナにとっては少し大きい。
 おとこのひとなんだな……と改めて意識してしまって、雨で冷えた体がほんのり体温を上げた。
「レーナ、体調が悪くなったのですか?」
 顔が赤いです、とシンに指摘されて、恥ずかしさにレーナは更に耳まで真っ赤になる。
「だ、だだだ大丈夫です! 上着をお借りして、少し温まっただけなので!」
「……なら、いいですが」
 もし体調が悪くなったら言ってください、と言われ素直にレーナは頷く。しかし白い半袖Tシャツ一枚でいるシンの方こそ風邪を引いてしまうのではないかと心配になるが、顔色は相変わらずで今のところは問題なさそうだった。
 それから無言の時間が続いて、雨足がやや弱くなってきた頃。
「雲に切れ間ができてきたので、あと少ししたら止むかもしれないですね」
 シンの言葉に、レーナは再び空を見上げる。
 たしかに、先ほどまではなかった切れ間があった。その隙間から僅かな光が差して、幻想的な雰囲気が作り出されている。
 それを綺麗だなと思いつつちらりと隣を盗み見ると、シンは濡れた髪が邪魔だったのか、前髪を手で掻き上げているところだった。普段は軍服の下に隠れて見えない腕の筋肉や筋が浮き出ていて、自分とは全く違う体の作りに気づいてしまってまた体温が上がる。
 こうして二人きりでいる時間は、普段はあまりないから。
 ……本当は、このまま雨が止まなければいいのに、とちょっぴり思った。

end
2025.04.28 初出