リュストカマー基地第一隊舎の最上階までやって来たシンは、書類を片手にレーナの執務室前で立ち止まる。片手を上げ、扉をコンコンとノックして名乗ったが、なぜか中から返事がない。
おかしいなと、シンは首を傾げる。
会議の予定はなく、今は空きの時間だったはずだが、入れ違いでどこかに行っているのかもしれない。……本当は少し、顔が見られればと思っていたのだけれど。
書類だけ置いて、勤務時間が終わってからまた来ようと思い、シンは扉を開けた。
――のだが。
「レーナ?」
いないと思っていたはずの彼女は、果たして執務机の前にいた。それも、机にうつ伏せるかたちで。
シンは相変わらず足音は立てないまま、けれど慌てて駆け寄る。口元に手を翳すと微かに吐息がかかって、そっと胸を撫で下ろした。顔色も悪くなく、どうやら眠っているだけらしい。
仕事中に眠るなんてレーナらしくないが、背中側にある窓からは陽光が柔らかく差し、普段から無理をして寝不足である身には耐えきれない心地良さだったのだろう。昨日もどうやら遅くまで仕事をしていたようだし。
ふ、と、シンは苦笑する。
ここはギアーデ連邦で、共和国ではない。だから分析だって作戦構築だって、全てレーナが背負ってやらなければいけないわけはない。それぞれ専門の軍人だって多くいる。それを何度か伝えてはいるものの、共和国にいた頃の名残が抜けないのかレーナは無理をしがちだ。シンには散々無理をするなと言っているのに。
「もう少し休んでくれ、レーナ」
そっと、頬にかかる銀色の髪を指先で払う。そのまま離れてしまうのもなんだか名残惜しくなって、ゆっくり、ゆっくりと髪を梳いた。
どれほどそうしていただろう。つい夢中になってしばらく手を動かしていると、ぴくりと華奢な肩が跳ねた。そろりと頭が持ち上がって、梳いていた銀糸はさらさらと指の間を流れていく。
まだ眠たげな銀色の双眸が周囲を見回して、最後にシンと目が合った。きょとん、と、一瞬固まる。
「シン……どうして…………。って、わ、わたし、もしかして寝て、ました……?」
「ああ。どれくらい寝てたかは、分からないけど」
シンが部屋を訪ねた時にはもう寝ていたと告げれば、やってしまったとばかりにレーナは頭を抱えた。
「勤務中なのに……。シンも、起こしてくれても良かったじゃないですか」
「気持ち良さそうだったし。それに普段から仕事しすぎなんだから、たまには休んだって誰も文句言わないだろ」
ちゃんと夜は寝てくれ、と最後に付け加えれば、レーナは黙り込んでしまった。自覚はあるのか、返す言葉もないらしい。
「今日から、夜はちゃんと眠るか?」
「……分かりました。あの……その代わり、わたしが今眠ってしまっていたこと、誰かに言わないでください」
両手を合わせるレーナに、シンは少し考える。
まさか大佐で指揮官であるレーナが勤務中に眠っていたなんて、絶対に誰かには知られたくはないだろう。もっとも、グレーテを含め隊員たちに知られたところで笑い話になって終わりな気もするが、レーナはそうは思っていないらしい。
「どうしようかな」
「えっ」
まさか同意以外の返事がくるとは思っていなかったのか、レーナは悲壮な顔でシンを見上げる。つい吹き出しそうになってしまうのを堪えながら、シンは続けた。
「じゃあ、さっきのに追加で、もう一つだけ」
「な、なんですか」
身構えるレーナに、シンは小さく笑う。それから腰を屈めて、え、と目を見開くレーナに構わず口づけた。
ん、と小さくレーナから声が漏れる。それに気を良くして、何度も小さな唇を啄むようにキスを落とした。最後に長めに口づけてから、ゆっくりと顔を離す。と、耳まで真っ赤になったレーナの顔がそこにあった。
「誰にも言わないでくれ、このこと」
「〜〜〜〜っ、い、言えません! ……シンのばか」
end
2025.02.28 初出