机上に放置された、最後に充電したのがいつなのか分からない携帯端末が突然震えた。
基地内にいるときはほとんど知覚同調で済んでしまうため、月に一度使うか使わないかのそれ。電話番号を知っているのはライデンたち元スピアヘッド戦隊の四人と、書類上養父のエルンスト、それからレーナだ。
今端末に表示されている名前は、今日療養所へ向かうのを見送ったそのレーナ。
シンは眉を顰めながら通話ボタンを押した。
「レーナ……? どうした? そっちで何かあったのか?」
心配するシンとは裏腹に、返ってきた言葉には気恥ずかしさが滲んでいた。
「いえ。ただその……眠る前に少しだけ話ができればと思って。今、大丈夫ですか?」
「――ああ」
思わず口元が緩んで、肩の力が抜けた。どうやらレーナの声を聞いて安心している自分がいるらしい。知覚同調とも、直接聞くものとも違う、電話越しの銀鈴の声。少し聞き慣れないけれど、端々の響きで確かに彼女だと分かる。
「すみません。もう、寝るところでしたよね。それに、仕事の後で疲れているでしょうに」
「いや、大丈夫だ。レーナ、最近謝ってばかりだぞ」
「すっ、すみま……じゃなくて、えと、その……」
知覚同調のように感情が流れてくることはないが、おどおどと言葉を探しているのが想像できて、シンはくつくつと肩を揺らした。
「療養所、どうだ? ペルシュマン少尉の話だと、長閑で広々してるって聞いたけど」
「ええ。乗馬もできるとあって、緑も多いですし、花はちょっと見頃は過ぎてますけど、まだ少し咲いていて、」
「うん」
「初日だったので体験教室はまだ何もできていませんが、管理人の方が作ってくださった夕食が美味しくて、」
「ああ」
「部屋も、基地の私室より少し広くて、ベッドも大きくてふかふかで、ティピーも気に入ったみたいで、それで――……」
声が途切れる。
感情が見えにくいのが少々もどかしいが、彼女が言わんとすることもなんとなく分かって、シンは淡い笑みを浮かべた。
「……おれも、レーナがいないのは寂しい」
「――――っ」
図星だったのか、息を呑む音が聞こえた。次いで、少し罅割れたような声。
「どうして、分かったんですか?」
知覚同調ではないから、そこまで伝わらないと思ったのに。
「声が、少し寂しそうだったから」
電話では、直接顔を合わせたときとも、知覚同調とも違う、少し籠もったような電子的な声。聞き慣れないけれど、だからこそより耳を傾けようとして、そこに滲んだほんの僅かな感情を感じ取れたのかもしれない。
きっとレーナは、哀愁の交ざった微笑を浮かべているのだろう。そこに一緒にいられないことがもどかしいが、今回ばかりは仕方が無い。少しでも戦場から離れて、元気になればいいのだが……。
「……シン、明日も電話をしてもいいですか?」
おずおずと、どこか遠慮がちな声音に頬が緩む。そんなの、遠慮することでもないし、シンとてできるなら毎日声が聞きたいのに。
「ああ。待ってる。何してたのかとか、聞きたい。……卵、ちゃんと割れるようになるといいな」
「だから、それはちゃんとできるようになったと、シンも知ってるでしょう!」
もう、と拗ねたように言うものだから、シンは小さく笑った。
「今日は眠れそうか?」
「多分……、ですが。シンの声を聞いたら少し安心できたので」
強がりで言っているのか、そうでないのかは電話では分からないけれど。本当にそうであればいい、と思う。
「明日もこのぐらいの時間に電話しますね」
「――いつかの定時連絡みたいですね、ミリーゼ少佐」
「ふふ、そうですね。ノウゼン大尉」
でもあの時とは違って、お互いの顔を知っている。お互いの匂いを知っている。お互いの気持ちを知っている。
だから声を聞きながら思い浮かべるものもあの時とは違って、それが少し嬉しい。
「……じゃあ、おやすみ、レーナ。また明日」
「はい。おやすみなさい、シン」
後ろ髪を引かれるような思いで電話を切り、今夜は彼女がゆっくり眠れるようにと、遠い月に祈った。
end
2023.02.09 初出