1
「お泊り会? ALOで?」
「うん! ほら、友達同士だとよくやるんでしょ? ボク、いままでやったことないからさ、ずっと憧れてたんだよね~」
とある日の昼下がり。……とは言ってもそれは《現実世界》の話で、ここ《アルヴヘイム・オンライン》では既に空が暗くなり始め、じきに《新生アインクラッド》第二十三層の底が、星のように輝き始めるだろう時間帯だった。
ALOは現実世界の時間とは同期していない。そのため現実では昼、ALOでは夜、またはその逆であることも珍しくはないのだ。昨日ログインしたときは偶然どちらも夜だったが、今日は違った。
そんな中突然《お泊り会》と言い出したのは、アスナが先ほど焼いたばかりのクッキーを美味しそうに食べる闇妖精族(インプ)のユウキ。アスナの隣では、黒い部屋着に身を包んだ影妖精族(スプリガン)のキリトも同じものを食べていたが、ユウキの発言に手が止まっている。
ちなみにユイや他の仲間たちは、最近出現した新たなクエスト攻略のために今はいない。アスナお手製のお弁当を持って行ったから、きっと帰りは遅いだろう。
思わずキリトと顔を見合わせてから、アスナは再びユウキに向き合った。
「お泊り会って、ここで?」
「うん、ここで! 街で宿を借りてもいいけど、やっぱりプレイヤーホームの方がそれっぽいからね」
確かに宿屋ではあまりお泊り会という雰囲気はない。一方、今アスナたち三人がいるプレイヤーホーム――新生アインクラッド第二十二層のログハウスであれば、現実世界に近い感覚でできるだろう。
このログハウスの所有者はシステム上アスナの名前で登録されているためキリトは自由に使ってもいいのだといつも言うが、やはり二人のものという感覚もアスナの中にはあり、横目にキリトの様子を窺う。
すぐにキリトと目が合い、一瞬柔らかい表情になったかと思うと、ユウキが気付かないくらいの動作で頷いた。つまり、ここを使ってもいい、ということだ。
それにアスナも微笑み返し、ユウキへ視線を戻す。
「いいよ、ここでお泊り会しよっか」
「ほんと? やったー!」
両手を上げて嬉しそうに喜ぶユウキに、アスナが「いつにする?」と訊ねる。すると上げていた手を下ろし、今度は両手の人差し指を突き合せながら、少し言いづらそうに口を開いた。
「えっとね、今日じゃ……ダメかな?」
「きょ……」
今日!? ――と思わず立ち上がりそうになったところで、隣で紅茶を飲んでいたキリトがむせ出した。慌ててキリトの背中に手を回し、落ち着かせるように上下に動かす。もっとも、この動作が果たして仮想世界でも有効なのかは解らないが。
「き、キリトくん大丈夫?」
「あ、ああ……すまん。ちょっとびっくりした」
そのまま黒い背中をさすっているとすぐに落ち着いてきたようで、「もう大丈夫だよ」とアスナの手を止め、キリトの両目がユウキに向けられた。
「えっと……現実世界だとまだ昼だけど、つまり夜になってからってことか?」
「ううん、こっちが夜のうちに。お昼寝みたいになっちゃうけど、それでもいいかなーって」
「な、ナルホド……」
今日は土曜日で、夜にはおそらくアスナの母親である京子も帰ってくる。最近は穏やかになりつつ親子関係ではあるが、夕食の時間までにはリビングにいないとまた何を言われるか解らない。そういう意味では夕食と入浴を済ませた後の方が都合はいいが、そんなに急がずともまた来週の休日を使ってもいいのではないかとも思う。
けれどそんな考えを先読みしたのか、アスナが提言するより先にユウキが話し出した。
「今日の夜は、先生と面談する予定になってるんだ。明日はユージーン君たちとデュエルの約束があって、その後は《セリーン・ガーデン》にいる友達と会う約束をしていて……次はいつ、こうしてアスナたちと会えるか解らないから…………」
だから、今日――。だから、今――。
現実世界の病院のベッドで横たわるユウキの身体は、今こうしている間にも病気が進行している。すでに末期とまで言われていて、いつその生が途絶えてもおかしくないのだ。最近も何度かALO内で身体がふらついていることがあったし、そのときは遠からずやって来るとアスナたちは思っている。だからできる限りの時間を精一杯彼女に使おうと、少しでも時間があればこうしてALOにログインしている毎日だった。
視界の隅に入った黒い膝の上で、ぎゅっと拳に力が入っているのが見えた。
アスナは思わず伏せそうになった顔を上げ、できる限り明るくユウキに語りかける。
「もう、まだ大丈夫だよ。いつだって会おうと思えばこうしてALOで会えるし、学校行くときはプローブだってあるんだから」
「そう……だよね……。えへへ、なんだか弱気になってたみたい」
「そうだよ。でも、今からお泊り会しよっか」
「……いいの?」
アスナが笑いながら大きく頷くと、再びユウキの表情が明るくなった。
――やっぱり、ユウキには笑顔が似合うよね。
夕食前には戻れるようにアラームをセットしておけば問題はない。もし遅れてしまっても、正直に話そうとアスナは意を決めた。ユウキとの時間が限られていると考えれば、自分が少し怒られることなんて些細なことだ。
「そうだ! キリトも一緒に昼寝しようよ」
「ええ!? いや、俺はいいよ。夕方前には一度ログアウトして、晩飯の準備しないとなんだ」
「そっかー。じゃあ、アスナはボクが貰うね」
「そ、それとこれとは話が違うぞ。今日はユウキに貸すけど……」
「もう! 人をモノみたいに言わないでよー」
三人の笑い声が、夜の帳が下り始めたログハウスに木霊していた。
2
「電気消すね」
「うん、いいよ~」
結局、寝室は避けようということになり、リビングに布団とマットレスを持ってきて寝ることになった。長時間寝るわけではないし、お昼寝だけならこれで問題ないだろう。仮に長時間寝たところで、ここでは身体が痺れてしまうことも、痛くなることもない。
アスナは部屋の明かりを消し、ユウキの隣へ身体を滑らせた。リビングの天井には、カーテンの隙間から零れる月明かりが白く発光している。
「うわ~、なんだかこういうのわくわくするね! もっと早くにやってたら良かったなぁ……」
「また今度やりましょ。リズたちも一緒に」
「うん。みんながいたら、きっともっと楽しいよ。……でも、初めてお泊りした人がアスナで嬉しいな」
「……うん。わたしも、ユウキとこうやってお泊りできて、すごく嬉しいよ」
現実では、あまりお泊り会らしいお泊り会をアスナはしたことがない。もちろん川越にあるキリトの家には、京子に黙ってこっそり泊まったことが何度かあるが、同性同士のお泊りとは少し違う気がする。
二人で出掛けるときもそうだが、友達と出掛けるときとはやはり少し違う。それが《恋人》というものなのだろうが……。
「……ねえ、アスナは《あの人》のどこを好きになったの?」
不意にそんな声が聞こえ、アスナはびくりとした。
「ど、どうしたのいきなり……」
「だって、お泊り会のときは〝コイバナ〟をするんでしょ? 前にリズが言ってたんだ」
「…………」
間違いがあるわけではないが、全員が全員コイバナをするわけではない……と思う。どうすべきか迷い、布団の中でユウキの方へ身体を向けると、興味津々な双眸が、暗闇の中でも真っ直ぐにアスナを見ていた。ここで何も言わないという選択もあったのだろうが、深い朱の瞳があまりにも眩しくて、アスナは口を開いた。
「……ひと言で言えば、全部……かな。みんなに優しいところも、イタズラ好きなところも、誰かのために必死になってるところも」
「その誰かが、アスナじゃなくても?」
「うん。だって、キリトくんがそんなに必死になるんだから、彼にとって大切な人ってことだもの。わたしもその背中を支えたいし、一緒に守りたい」
いつだってそうだった。彼は自分の周りにいる大切な人を守るために必死で、自分のことなど後回しにして、ただただ必死だった。だからこそキリトの隣にいて、その背中を支えながら共に在りたいと思う。――今、アスナがユウキのために必死になっている背中を、彼が支えてくれるように。
「それに……やっぱりキリトくんと一緒にいると安心するの。家にいるときよりも、素の自分が出せるような気がしてる……」
安心感は他の人と比べ物にならないくらいあるが、正直なところ、キリトの前であまり弱音を吐けない部分もある。強くあろうと、彼に守られているだけではなく、対等であろうとする気持ちがそうさせるのかもしれない。
キリトもアスナが話し出すまでは無理に聞こうとしない。つい一時間ほど前もそうだったように、キリトがアスナの気持ちを察し、そっと背中を押してくれるだけ。きっと夕食の準備で、と言って身を引いたのも、彼のそんな気遣いからだったのだろう。
そんな彼に甘えてしまっているのも事実。だから今度会ったときには、アスナがキリトをめいっぱい甘やかしてやるのだ。たくさんの手作り料理と一緒に。
「そっか……。ボクが今、アスナと一緒にいて安心する気持ちと、きっと同じなんだね……」
「うん……そうだったら、嬉しいな……」
「やっぱり、もっと早くアスナに出会えていれば良かったな……。そしたら、アスナをボクのお嫁さんに、したのに……」
だんだんユウキの声が眠そうに緩み、大きなあくびをした。
「ふふっ、もう眠そうだね」
「だって……アスナとくっついていると眠くなってきて……ぽかぽかして……。なんだか、すごくよく眠れそう、だよ…………」
微睡みにそう呟くと、すぐにすぅ、すぅ、と小さな吐息が聞こえ始めた。
まさかこんなにすぐ眠ってしまうとは。驚きながら、この場にいない誰かさんにそっくりだと、アスナは小さく笑った。
「……ねーちゃん…………」
気持ち良さそうに寝息を立てるユウキがいつもより幼く見え、薄っすらとその顔を照らす月明かりのせいで、どこか儚くも見える。本当の姉には申し訳ないが、今だけは、まるで自分がユウキの姉になったような気分だった。
あとどれだけの時間がユウキに残されているのか解らない。それでも、今必死に息をして、ここにいようと、わずかな時間でも悔いのないよう生きる彼女を最期まで見届けることが、アスナができる最善のことのように思う。
そのときが来ても笑顔で見送れるよう、彼女との時間を大切にしたい。またどこかで巡り会い、笑い合いながら、今度はもっと長い時間を共に過ごせるように。
「おやすみ、ユウキ」
どうか少しでも幸せな夢が見られますようにと願い、隣の小さな手をふわりと握り、アスナもゆっくり瞼を閉じた。
end
2018/02/06 初出
Happy birthday for みっちょさん