ようやく日課と呼べるくらいには馴染み始めたロードワークを終え、シャワーを浴びてからリュストカマー基地の隊舎にある自室へ。軍服に袖を通して廊下へ出ると、ライデンと同じ鋼色に身を包んだシンが歩いていた。相変わらず足音がしない。
「シンも飯か?」
「ああ」
ちらりと目が合ったものの特にそれ以上はないまま、ライデンとシンは示し合わせたように食堂へと向かう。お互いに共に行くことが当然だと思っているあたり、伊達に長い付き合いではない。
「とうとう明日だな」
「? ……ああ、そうだな」
主語を抜いたためにシンは一瞬何のことか分からなかったようだが、すぐに表情を僅かに緩め頷いた。ライデン達しか気付けないほど、ほんの僅かに。
電磁加速砲型を倒し、少佐が生きていたと分かってからのシンは、以前より穏やかな顔を見せることが増えた。雰囲気が柔らかくなった、の方が分かりやすいかもしれない。特別偵察の時に見せていたような危ういものではなく、内側にあるものがふと出てしまったような、心からの。
明日は、そうやってシンをこちらへ引き戻した彼女――ヴラディレーナ・ミリーゼが連邦へ入国する。今回連邦の西方方面軍で新たに設立された、第八六独立機動打撃群の指揮官に着任するために。
「本当に追いついて来たんだから、大したもんだよな」
最初はまた面倒な白系種がハンドラーになったなーとか、世間知らずの泣き虫お嬢様だなーとか。シンを含めたスピアヘッド戦隊の全員がとにかくその程度にしか見ていなかった。
だが、セオにあれだけ言われても、シンの異能を体感しても、いつまでも同調を止めない彼女に今までのハンドラーとは違うのだと。壁の中で笑いながら何もしない奴らとは何かが違うのだと認めざるを得なかった。
これまでハンドラー相手に興味も示さなかったシンが、始めて自分の気持ちを預けようと思えるくらいに。
ライデンが投げかけた言葉にシンから何も反応がないため横目に見れば、何か考え込んでいる様子だった。相変わらず表情からは読めないが、おそらく。
「まだ気にしてんのか? 例の作戦」
「……」
どうやら当たりらしい。
機動打撃群に配属されるのは、ライデン達エイティシックスだけではない。命令でここに来る連邦軍人もいて、その中には共和国に知り合いや親戚がいた人もいる。
共和国が行っていた迫害を知り、その軍人がここの上官として着任するとなれば、反発する人間は決して少なくない。旅団長のグレーテや総隊長であるシンの元にもそんな苦情が多く届き、今後の収拾がつかなくなりシンやライデン達が知らないところで問題が起こるよりはと、今回に限り〝報復〟を許した。
「まぁ、気にしない方が無理、か」
「……おれが段取りまで決めておいて言えることじゃないけど、正直、少佐をこういう目には遭わせたくない」
普段あれほど感情を見せないシンが、血赤の双眸を僅かに曇らせる。
少佐絡みになるとやっぱりこういう顔もするんだな。そう思うと同時に、これで本人が何も気付いていないのだから、先が思いやられるとライデンは天井を仰ぎそうになる。
無論、ライデンもシンの意見には同意だ。特別偵察の時には失明覚悟の上で視覚同調をしてきたのに加え、許可されていないはずの迎撃砲まで使ってきた。いくら壁の中で死ぬことはないと言っても、階級の降格で済むとも限らないというのに。
けれどそのおかげでここまで――連邦まで辿り着き今も生きている。機動打撃群に志願した他のエイティシックス達もおそらく似たような意見だろう。だが――――
「連邦の人間からしたら、少佐も共和国人の一人だしな。俺たちにとっちゃ恩人とも言えるが、連中はそんな事情聞く耳も持たねぇだろうし。あとはフォローしてやるしかねぇだろ」
「……そうだな」
……とは言いつつ、何をすればいいのか思いついてなさそうなシン。ライデンもシンがそこまで気を回せるとは思っていなかったが、どうしたものかと頭を掻く。
「あー……。そういや、着任日はお前が案内してやるんだろ? せっかくならなんか美味いもんでも食わせてやれよ。食堂の料理長にでも頼んで」
八六区だって合成食料ばかりだったが、シンがいたため哨戒には出ず野生動物を狩って調理することもあった。そのため本物を食べられることも何度かあったが、壁の中はそんな機会もおそらくほぼない。合成食料は多少上等だっただろうが、連邦の方がまだ本物も多いしそれなりに美味い。ならばそういった物でどうかという遠回しの提案だったのだが。
はた、と。隣を歩くシンの足が止まる。食堂はあと十メートルほど先だ。
「シン?」
「ライデン、午後の予定は全員空きだったな」
「あ? ああ。明後日の準備もあるからって」
言った瞬間に、ライデンは悟る。シンのこの顔は何かを思いついたときのものだ、と。
「――一三三〇、暇な要員は森の前に集合しろと伝えろ」
「はぁぁ? 狩りにでも行くつもりか?」
「ああ」
あまりにあっさりとした返答。けれど誰のためにいきなりそんなことを言い出したかなど聞くまでもなかった。もっとも、仮に聞いたとしても本人は答えもしないだろうが。
暇な要員はと言っても、おそらくシンの命令なら聞いた全員が来るだろう。理由を聞く前に。――その首が狩られるのを恐れて。
まぁ、自分達も美味い物が食べられるのだから反対する者もそうそういないと思われる。
一方シンはというと、何を思ったのかまた僅かに表情が緩んだ。それを見たライデンが思わず苦笑すると、血赤がちらりとこちらを向く。
「……なに」
「いや。……変わったなーって思っただけだ」
end
2022.05.08 初出