随分大きさの変わってしまった手に導かれながら、予約していたホテルの部屋へ二人で入った。扉が閉まると同時にオートロックがかかった音を背後で聞き、目視確認などしないまま部屋の奥へと進む。ダブルサイズのベッドに二人でどさりと腰掛け、ふうーっと息を吐いた。その音が隣の夫と重なり、思わず横を向く。目が合い、同時に小さく吹き出した。
「お疲れ、明日奈」
「お疲れ様、キリトくん」
身体の力を抜き、隣へ体重を預けた。和人の腕が腰に回され、ぎゅっと引き寄せられる。昔から変わらない優しさに、明日奈の頬が緩んだ。
数ヶ月前に本当の家族となった和人と、今日、結婚披露宴を行った。互いの家族や親戚、友人たちに囲まれながら。ときには涙しながら。
ともあれ無事に最後まで式を終え、友人たち主催の二次会も終え、ようやくホテルへ戻ってきたところ。楽しくもあったが、慣れないことに精神的にも体力的にも疲労がピークだったらしい。なんとなく足早に部屋に戻り、二人とも一気に力が抜けてしまったのが今。明日の朝まで、こうして二人きりでのんびりとした時間を過ごしたいと明日奈は胸の裡でひっそりと思った。
「……準備の期間は長かったけど、終わってみるとあっという間だったな」
「そうだね。みんながお祝いしてくれて嬉しかったな……。お母さんの手紙でちょっとだけ泣いちゃった。キリトくんも涙目になってたでしょ?」
「うげっ……見てたんです……?」
明日奈がこくりと頷くと、和人は「かっこ悪いところ見せちゃったなあ……」と、決まりが悪そうに目を泳がせ頬を掻いた。なんだかおかしくなり、明日奈は笑いながら隣の腕にぎゅっと自らのそれを絡める。
「キリトくん、意外とロマンチストなところあるもんね。全然かっこ悪いことじゃないのに。キリトくんはかっこいいもん……」
「えっと……その、ありがとう。でも、明日奈だって可愛いし、綺麗だったよ……。ドレス姿も、正直独り占めしたかったデス……」
絡めた腕とは反対側の腕が伸びてきて、ふわりと抱き寄せられた。耳の横でどくん、どくん、と落ち着いた鼓動が聞こえ、触れられた場所から温もりがじんわりと伝わる。このまま目を閉じれば眠れてしまいそうな安心感に包まれながら、明日奈は両腕を和人の背中へ回した。それを合図に、和人の両腕が更に明日奈を引き寄せる。
「ふふっ、ありがと。ドレス姿は独り占めできないけど、今は独り占めできてるでしょ?」
「ん。…………なんだか、前にもこんな会話をした気がするんだよな……結婚式は、今日が初めてのはずなのに」
頭の上から降ってきた言葉に、明日奈は小さく頷いた。
「わたしも……初めてのはずなのに、初めてじゃない気がするの」
この感覚も、初めてではない。
《不思議な感覚》に襲われるようになったのは、明日奈たちがまだ高校生の頃。発生条件は不明。最初は明日奈だけかと思っていたのだが、後に和人に話したところ、彼も同じような感覚に襲われることがあると言った。二人で一緒にいるときに起こったかと思えば、部屋で一人のときに起こったり。朝起こったかと思えば、夜起こったり。明日奈と和人、二人同時に起こったかと思えば、全く違うタイミングで起こったり。
一つ解っているのは、他の友人たちには起こっていない――ということ。つまり、二人だけが経験したことがキーになっているのではという話になった。高度なAIであり娘でもあるユイに相談したところ、UWでの経験がその感覚に関係しているのではという推測が上がった。
《記憶》には、二種類あると言われている。
今この瞬間も記録され続けている《脳の記憶》。それから、無意識のうちに身体に擦り込まれている《身体の記憶》。
脳の記憶と違い、身体の記憶ははっきりとした記憶までは持ち合わせない。ただ、知らずにとっていた何気ない行動を、どこか別の場所でもしていたような気持ちになったりするだけ。要するにデジャヴのようなもの。
数年前にUWで過ごした二百年は、実際の身体まではその場になく、STLを用いて魂だけを飛翔させていた。その間の記憶は現実世界に帰還してから削除され、具体的に何をしていたのかなんてことは全く思い出せない。なのに時々そんな感覚に陥るのは、閉じられた記憶のどこかに二百年の記憶の欠片のようなものが残っているのか。あるいは、魂にUWの身体の記憶が刻み込まれているのか……。
はっきりとした理由は解らないが、懐かしい気持ちになったり、苦しい気持ちになったり、涙が出てくることまである。
今日の感覚は〝懐かしい〟の部類に入るもの。ということは、UWの中でも共に結婚式を挙げていたのかもしれない。覚えていないのは少々残念だが、こうして和人と感覚が共有できたのならそれでいいのかもしれないとも思える。
初めて人を好きになることを知り、愛おしいという感情を知った。その人とどの世界でも、どの時間でも共に在れるのなら、これ以上に幸せなことはないと明日奈は思う。これまでも、そしてこれからも続く人生という長い旅路の終わりまで、和人以上に愛おしいと想う人はいないと断言できるほどに。
「ありがとう、明日奈。俺と一緒にいてくれて。俺を選んでくれて」
言いながら、ゆっくり、ゆっくりと、髪を梳く気配がした。これ以上にないくらいの温かい気持ちがそこから漂い、明日奈の目尻に涙が浮かんだ。
「わたしこそ、ありがとう……愛しています」
胸にすり寄り、全身で目の前の存在を感じる。けれど――
「ねえ……キス、してほしい……。もっと、キリトくんのこと感じていたい……」
背中に回された腕の力が一瞬だけ強まり、気付けば夜色に染まった天井と、月明かりに照らされ怪しく輝く闇色の瞳が目に入った。
「――――俺も、明日奈が欲しい」
こくりと頷き、瞼を閉じる。
絡められた指をきゅっと握り、その先にあるであろう幸福と、狂おしいほど愛おしい時間を、ただひたすらに待った。
end
2018/01/27 初出
special thanks 詞乃さん