ファイドに功性工廠型の回収を依頼後、回収部隊と共にレーナたちの元へ帰還したシンは、整備班への損害報告、医療班への負傷者の引き渡しと報告etc……と、総隊長としての仕事が多々ある。
それらをこなし、最後に総指揮官であるレーナへと報告するのが、一応作戦後の基本ルーティーンだ。シンが負傷等で動けない場合は、副隊長のライデンがその役目を担う。
今回も激戦ではあったが幸い負傷はなく、レーナも無茶はしたようだが無事で、先に知覚同調で会話はしていたものの、顔を見た瞬間に肩の力が抜けた。
「――報告は以上です」
「お疲れ様です、シン。着替えてゆっくり休んでくださいね」
「ああ。レーナも」
微笑む彼女にひとまずそれだけ返して、シンは踵を返す。
作戦直前に外し始めた敬語。それが自分でもまだ不思議な気持ちで、けれど決して悪くはなく、レーナとの距離がまた少し近くなったような気がした。
一時的な更衣室とされている部屋の前まで辿り着いて、ドアノブを回そうとして。聞き慣れた靴音が早足でこちらに向かってくるのが聞こえた。振り向くと、思っていた通りレーナだ。
「レーナ……?」
どうしたんだと言いかけて、彼女が抱える黒い軍服が目に留まる。そういえば、今回も借りたと発進直前に言っていたか。
「これを、先ほど、返し忘れてしまったので」
返しに来ましたと、やや息を上げながら口にする。上着なのだからまた合流してからでも大丈夫だったのに。そう思いながらもここまで来てくれたことが嬉しくて、普段は表情の淡い白皙に微笑が浮かぶ。
「……ありがとう」
「いえ。こちらこそありがとうございます。……シンと一緒にいるみたいで、安心できたので」
照れくさそうに笑うレーナに、胸がぎゅっと締め付けられた。
自分たちがいつも立つのは戦場だ。
必ず帰ると、必ず帰ってこいと約束したのだから、それは果たす。それでも、死と隣合わせの中では何が起こるか分からない。前回――船団国群での作戦の時は、最終的には帰還したものの、海へ落下し危うく死ぬところだった。
だから今回、約束通り戻って来ることができて、彼女の顔を見て、名前を呼んで、返事があることが尊いものだと、改めて実感した。――気持ちを自覚して、想いが通じ合った今だから尚更に。
「――レーナ、少しいいか」
きょとんとしながら、何とは知らず頷くレーナに苦笑して、シンは繊手を取る。
つい先ほど入ろうとしていた扉のドアノブを開けたところで、レーナの手がぴくりと震えた。素知らぬふりをしながら、繋いだ手を引きそのまま中へ。
扉を閉めたとほぼ同時。華奢な体をそっと抱き寄せた。
清冽な早春の花の香りが聞こえて、深い安堵に息を吐く。その菫の中に、本当に幽かに自分の香水の匂いが混ざっている。それで、本当に自分の上着を借りていたのだなと、なんともむず痒いような心地になった。
背中に回した掌から紺青の軍服越しに伝わる、少しだけ低い体温。それでちゃんと、レーナがここにいるのだと実感する。作戦から戻ってきたばかりで油や汗の臭いがするかもしれないとも思ったが、それよりも彼女の存在をこの身で確かめたい気持ちが勝った。
「あ、あの……。シン、誰か来ちゃいます」
「誰も来ない。おれが一番最後だから」
総隊長としてやるべきことを片付けていると、必然的に他の隊員よりも着替えるのが遅くなる。そのため最後の報告を終えると残っているのはいつもシンだけだ。今回もそれは同様で、部屋の中にはシンの着替えがあるだけ。
だから何も心配いらないと頬を擦り寄せれば、腕の中の体温が少し上がった。
それにくすりと笑ってから、僅かな距離を空けて白銀の双眸を見つめる。じっと見返してくる、戦場の中であっても綺麗に輝く瞳。そこに自分が映っているのが見えて、血赤の瞳が細まった。
「改めてになるけど。ただいま、レーナ。……待っていてくれて、ありがとう」
ぱちぱちと、ぎんいろが瞬く。ついでそれが弧を描いて、花が綻んだかのように笑った。
「おかえりなさい、シン。無事に帰ってきてくれて、ありがとう」
再び距離が縮まって、レーナが抱える軍服に皺が寄る。
そんなことは気にも留めないまま。どちらからともなく顔が近付いて、唇が重なった。
女王の下へ帰還した死神への。あるいは、死神を待ち続けた女王への、祝福かのように。
end
2023.01.09 初出