「ライダーにプレゼント、ですか?」
「ええ。桜は何を渡すか決めてるのかなーって」
訊ねて、わたしは手元のティーカップを口へ運ぶ。ここ新都にある喫茶店はわたしのお気に入りで、洋菓子はもちろん、茶葉から淹れているためか紅茶の風味が良くとても美味しいのだ。お値段も周りのチェーン店に比べれば高くはなるが、これだけ満足できる紅茶が飲めるのだから文句はない。まぁ、ここ一年近くは家で美味しい紅茶が飲めるため、ここへ足を運んだのも久しぶりのことだけれど。
一緒に来た桜は「はい」と照れくさそうに微笑んでから、紅茶を一口。ティーカップをそっとソーサーに置いてから、嬉しそうに話し始めた。
「――実は、この前本屋さんの前を通りがかった時にライダーが本を何冊か買ってたんですが、高くてすぐに買えないものがいくつかあったんです。わたしも全部は無理だけど、一冊だけならなんとかなりそうなので、それをプレゼントしようかな、って思ってたところです」
この後見に行くつもりでした、と微笑む桜。そんな妹の様子に安心すると共に、自分の方はどうしようかとますます悩みは深まる。
「姉さんは……やっぱり、まだ決まってないんですか?」
「まぁねぇ……。アイツの欲しいものってよく判らないというか、訊いても特にない、って言われそうというか」
紅茶をまた一口飲んでから、溜息を零しながら頬杖をついた。
アーチャーを召喚して明日で一年。あれから色々あって、わたしとアーチャーの関係も変わった。けれど、だからといって生活が一変した訳ではない。これまでと変わらず、冗談を言い合ったり、たまには喧嘩してみたり。あとは……スキンシップは増えた……かも。これ以上思い出すのは恥ずかしいが、色んな意味で。
とにかくそんな中にも関わらず、こういった特別なイベントをわたしたちはまだ経験していなかった。クリスマスはもちろんプレゼント交換をしたが、召喚してから一年――つまり、出会ってから一年、というのとは少し重さが違う。
だからできれば少し特別で、アーチャーが欲しいもの、喜んでくれそうなものがいい。そう思うも、これまでそっち方面には全く縁がなかったせいなのか、アーチャーのせいなのか。……とにかく、何がいいのか全く思いつかないのだ。
「アーチャーさんには何も訊いていないんですか?」
「う……。ちょっと訊きづらいのよね、こういうコト……」
思わず視線を逸らして、カップを傾ける。
すると、桜は何かを察したのか。可笑しそうにくすりと笑った。
「多分、姉さんは難しく考えすぎです。そんなに色々悩まなくても、きっとアーチャーさんなら何でも喜んでくれると思います」
「そう……なのかしら……」
「はい! だって、姉さんが色々考えて選んだものですから。いえ、アーチャーさんのことですし、気持ちだけでも喜んでくれると思います」
「そ、それはさすがに……」
ないだろう……と思うも、アーチャーは召喚されてから一年、とかそういうコトは気にしてないだろうし、何もプレゼントがなくてもそれに関して何か思うことはないのかもしれない。ただ、知ってて何もしないのはわたしが落ち着かないだけだ。心の贅肉……というヤツか。
「――アーチャーさんにとってきっと、姉さんと一緒に普通の生活が送れるのは幸せなことなんだと思います。姉さんもそうですよね。最近のお二人、以前より表情が明るくなりましたから」
「うぐ……」
くすりと笑う桜に、思わず言葉を詰まらせる。うー……。顔がやけに熱いから、きっと赤くなっているに違いない。
わたしが何も言い返せずにいると、桜はぽつりと続きを口にした。
「だから、特別なことはあまり考えず、いつもの生活を過ごす中で思いついたものをプレゼントするのでもいいと思うんです。わたしのライダーだって、そうでしたから」
いつもの生活――か。
花が綻ぶような笑顔を見せる桜に一瞬見とれながら、わたしはさっきの彼女の言葉を頭の中で反芻する。
普通の生活。いつもの生活。
何でもなさそうな言葉だけれど、今だけはわたしに答えをくれた気がした。
「ありがと、桜。ちょっとだけ判ったかもしれない」
言って、わたしは口元に笑みを浮かべた。
***
オレンジ色のデスクランプに照らされながら魔術書を捲り、ちらりと時計を見やった。
――二月一日午前零時五十九分。
時計の針がその時刻を指しているのを確認して、わたしは屋根にいるアーチャーにレイラインで呼びかけた。
『アーチャー、聞こえる?』
『凛? まだ起きていたのか。勤勉なのは結構だが、そろそろ寝なければ明日に差し障るぞ』
『はいはい、解ってるわよ。いいからちょっと部屋に来てくれない?』
『君はいつも唐突だな』
やれやれと言いながらもそれ以上は何も言ってこない。ちゃんと下りてきてくれるらしい。
わたしも椅子から立ち上がって、机の引き出しに隠していた包みを取り出す。すると、すぐ後ろで馴染んだ気配が現れた。
「急に呼び出してどうしたのかね。眠れないから付き合え、という訳でもなさそうだが」
「ええ。貴方に用があったの、アーチャー」
「私に?」
包みを後ろ手に持って振り向けば、黒い私服に身を包んだアーチャーの姿。ぼんやりとオレンジに照らされた表情からは疑問の色が窺え、思わずにやりと笑う。
再びちらりと時計を確認。
――午前一時。一年前の今日と、同じ時間。
そういえば、あの日もこのぐらい冷える日だっただろうか。今は真っ先に暖めてくれる人がいるから、気付いた体が冷え切ってるなんてコトもすっかりなくなった。そんなちょっとしたコトが、今は少しこそばゆい。
「――アーチャー、いつもありがとう」
白い包装紙に赤いリボンが結ばれた小さめの箱。にっこりと笑いながら、わたしはアーチャーへそれを突き出した。突然の事にアーチャーは目を白黒させていたが、やがて両手でそっと受け取ってくれた。
「凛、これは――」
「貴方にプレゼント。その……一応、今日はわたしのアーチャーの誕生日みたいなものだし。……貴方を召喚してから、今日で一年なのよ」
慣れないことをするのは恥ずかしい。耳が熱くなっているのを感じて、少し視線を逸らす。
「…………開けても?」
低い声音にこくりと頷くと、リボンがしゅるりと解かれる音がした。次いで、包装紙が丁寧に剥がされていく。最後に箱の蓋が開かれて、アーチャーの声が聞こえた。
「……茶碗と箸か?」
「そ。……今まで家にあるやつでいい、って言い張ってアーチャー全然自分のを買わなかったじゃない。でも、これからもここで暮らしていくんだし、こういうものってやっぱり大事だと思うのよ。だから、これはけじめみたいなもの」
目を閉じて、自分を落ち着けるように深く呼吸する。心臓がバクバクと音を立てているけれど、これだけはちゃんと彼に伝えたかった。
瞼をそっと上げて、鉄色の双眸を真っ直ぐに見つめる。
「――――アーチャーがここにいて、わたしが死ぬまで一緒に生きていく。霊体であるサーヴァントは歳を取らないから、人として生活するのは無理かもしれない。でも、わたしと一緒に人と同じような生活をこれからも送ることはできる。これはその証。もしかしたら、貴方は気に入らないかもしれないけど……わたしからの気持ち」
「――――――」
予想外だったのだろう。アーチャーはしばらく目を瞠っていたが、それから間もなく箱を机上に置いて、わたしの腕を引いた。息を吸った瞬間に彼の匂いが肺に送り込まれて、途端、それが麻薬のように作用したのか、わたしの心拍数は更に上昇していった。
「わ! ちょ、ちょっとアーチャー、いきなり――」
「凛」
文句を言いかけた口は、その一言であっさりと塞がってしまった。少し掠れたような声色に、胸が締め付けられる。
「……凛、私は正直迷っていたところもあるのだ。ここにいる限り、君への負担があることは確実。だが、私からはもう君の手を放せそうにないし、放すつもりもない。それでもいつか君が現界を迎え私を手放すと言うのなら、受け入れる覚悟はできていた」
「そんなの……」
解っている。彼は結局、そういう考え方から抜け出せなかったために今のこの姿があるのだ。でも、そういう奴だったからこそ、わたしも彼に幸せになって欲しいと願ったし、そういう奴だったからこそ、こうして巡り会って、今触れることができるのだとも思う。……こういうのを、〝運命〟と呼ぶのだろうか。
目の前の黒いシャツをぎゅっと握ると、背中に回されたアーチャーの腕に更に力が込められた。
「――だが、凛がそう言うのであれば私ももう遠慮はしない。君が死ぬまで、ではなく、死んでも共にあると誓おう」
「――っ! ほんと、気障なんだから……」
ぐりぐりと分厚い胸板に顔を押し付けると、大きな掌がそっと髪を梳いた。
死の先にあるものが孤独ではなく、好きな相手と共にいれるならどれだけ幸せだろう。そう思うだけで、この先に必ず訪れる死は安らかなものである気もするし、彼を独りにしてしまう心配もない。
幸いにもわたしは魔術師だ。この先もっと勉強して経験を積めば、本当にアーチャーの言うような未来も自分たちの手で創り出せるような気がした。
「わたしのところに来てくれてありがとう、アーチャー。大好きよ」
end
2021.02.01 初出