わたしが夜の眠りについた頃。見回りに出ていたはずの彼は、いつもわたしの部屋に入ってくる。レディーの部屋に勝手に入るのはどうかと思うけど、一応わたしのサーヴァントだし、そこは目を瞑る。
けど――――。
ああ、今日も。
男の気配が音も無くわたしに近寄って、無骨な指がこれ以上ないくらい優しく、柔らかく、自慢の黒髪を梳く。時折くるくると指先で弄ばれたりもするけれど、頻度は前者の方が高い。
普段剣を振るう姿からは当然想像がつかないし、紅茶を淹れる時と比べても繊細で、見方を変えれば、壊れ物に恐る恐る触れているようにも思える。
わたしは目を閉じているから、彼がどんな顔をしているのかは知らない。そりゃ、気にはなる。なるけれど、鶴の恩返し……ではないが、見てしまったら何かが音を立てて崩れてしまう気がして。この事をわたしが知ってから一週間が経つのに、まだ一度も確かめられずにいた。
だって、仕方ないじゃない。
誰かにそんなふうに髪を梳かれた事はもう十年以上なかったから、その手があまりにも心地良くて、つい安心してしまうんだもの。安心してるから、心臓がどくどく音を立てて、顔が熱くなるのだ。……そうでも思わないと、朝起きた時にどういう顔をしたらいいのか判らない。
今日もそうやって気持ちに蓋をして、自分でもよく解らない何かが溢れないようにする。朝になったら、またいつもの遠坂凛になれるように。――多分、唯一彼に隠している、わたしだけの秘密。
そうして、長いような短いような時間――きっと五分くらい――をかけてひとしきり梳き終わると。
「――――凛」
囁きと共に毛先が一束だけふわりと浮き、柔らかい何かに押し当てられる。
それが、終わりの合図。
彼は来たときのように音もなく消えて、再び屋根の上で本来の役割に戻る。
マスターとサーヴァントとしての在り方はこちらが正しい。そんなことは解っているのに、少し寂しくも思えてしまうのは単なる心の贅肉なのだろうか。
――ねえ、アーチャーは何を思ってわたしに触れてるの……?
胸の裡でひとりごちながら、意識を深いところへ潜り込ませた。
end
2020.09.13 初出