ねがいごとあまた

「私の先祖の国では、七月七日に願い事を書いて吊るすと願いが叶う、と言われていたそうだ。タナバタ……と言ったかな。全員でやったら案外盛り上がりそうだと思わないか?」
「……そうかもな」
 仔細は知らないが、シンも本で読んだことがある。笹の木に願い事を書いた短冊というものを吊るすらしい。七月七日まであと数ヶ月ある上に、その日までいったいどれだけこの戦隊に残っているのかは分からないが。
 ダイヤやクジョーあたりは最終的に笹の木を振り回して遊び始めそうだが、たしかに盛り上がるにはいい口実になるだろう。全く風情がないと、カイエはまた苦笑している様が浮かぶ。
「シンは書くとしたら何を書く?」
 問われて、少しだけ考えようとして……すぐに止めた。願いらしい願いなど何も浮かばないし、願ったところでどうにもならないだろうから。
「さあ……何も思いつかないな。カイエはどうなんだ」
「そうだな……。〝極東の国に行ってみたい〟かな。話ばかり聞いていたから、知っていることは多いが一度も行ったことはないし、いつか――――」
 遠い遠い先祖の国で、カイエにとってはルーツだという認識しかないその国。
 実際に行くことなどきっと叶わない。叶わないと知って尚、この戦場で散った後でいつか魂だけでも辿り着けるなら……。
 ここではない、どこか遠くを見つめながら言うカイエに、シンはそっと目を伏せた。

***

「シンは、もうお願い書きましたか?」
 短冊とペンを手に訊ねる白銀種セレナの少女に、シンは短く肯首した。
 彼女も読書家なだけあって〝タナバタ〟という行事は知っていたらしい。ただ実際にやるのは今日が初めてらしく、どこかそわそわと、わくわくと楽しげな様子が窺えてシンの頬も自然と緩む。
「ああ。レーナは何を書いたんだ?」
 彼女の手中にあるものを見ようと顔を寄せると、ばっと素早く背中に隠された。白磁の頬が僅かに色付いている。
「だ、だめです! 内緒です! ……シンが見せてくれたら、いいですけど」
 自分だけ見せるのは不公平だと言外に言うレーナに、シンは口の端を吊り上げた。
「内緒。レーナが見せてくれるなら、見せるけど」
「むぅ……」
 意地悪されていると悟ったレーナは、小さく唇を尖らせた。ついで、そっちがそのつもりならと脚立の上でみんなの短冊を取り付けているライデンの元へ駆け寄り、自分のそれをずいっと突き出す。
「ライデン、シンが絶対見えない位置に付けてください。あ! 内容は見ないでくださいね」
 突然やって来たレーナのそれを受け取りつつ、ライデンは背中に鋭い視線を感じ溜息を吐いた。振り返らずとも、紅い双眸がこちらを見ていることは間違いない。
「へいへい。……シン、お前もそれ寄越せ。隣に付けておいてやるから」
「…………」
 やや不機嫌そうな死神に、ライデンは片手でくいくいっと合図する。二人でじゃれ合うのは勝手だが、正直巻き込まないで欲しい。
「ライデン、見たら――」
「わーってるよ、わざわざ見ねぇよ」
 据わった目で見てくるシンにそれだけ言う。自ら首を差し出すような真似を今更するものか。
 そうして笹の上の方、なるべくてっぺんに近い位置に、二人分の短冊を並べて付ける。
「……ったく。こんなの短冊に書くんじゃなくてお互いに言う願いだろうが」
 思わず呟いた言葉は、周囲の喧騒に掻き消されて誰にも届いていない。
 内容を見るなと言われても、どうしたって付ける時に目がいく。シンとレーナの願い事を思い出して、ライデンはややげんなりしながら仲睦まじい二人を見やった。
「わざわざ願い事にしなくても叶うだろうよ」
 
 
 リュストカマー基地第一格納庫前。プロセッサーたちが格納庫端に括り付けられた竹に群がる、その喧騒から少し離れた場所。
 シンとレーナはなるべく明かりの少ない位置に並んで立って、満天の夜空を仰いだ。
 基地の周辺には街があるとはいえ、広大な敷地を誇るこの基地の前にはあまりにも遠い。そのため格納庫の明かりから少し遠ざかれば、八六区と同等とは言えないがグラン・ミュールの中よりは遙かに多く瞬く星を視界に収めることができる。それを銀色の瞳に映しながら、知らず、レーナはほ、と感嘆の息を吐いた。
「綺麗ですね、ここから見る夜空は。あ、でも、連合王国の作戦の時にシンが見せてくれた夜空の方が、もっと星が綺麗に見えました」
「あそこは、周りに何もなかったから」
 何か思い出したのか、シンは血赤の双眸でちらりとレーナを見やってから苦く笑った。
 遠くに聞こえるプロセッサーたちのはしゃぐ声と、静かな虫の音。それを意識の片隅で聞きつつ、夜空をじっと見つめる。
 このまま見ていたら夜闇に吸い込まれてしまいそうだな、とレーナが思っていると、再び静謐な声音が夜の空気を幽かに震わせた。
「……まだ八六区にいた頃、カイエが七夕の話をしていたんだ。その時に、願いを書くとしたら何を書くか訊かれて、おれは答えられなかった」
 ここからでは見えない遠い星を見ながら、記憶を手繰り寄せるように言うシンに、レーナの胸が僅かにつきりと痛む。
 レーナがスピアヘッド戦隊のハンドラーになってすぐの頃。
 ――退役したら、何かやりたいことはありますか? 行きたいところや、見たいものとか。
 何も知らなかったとはいえ、当時は随分無神経なことを訊いてしまったと思う。
 そのことについて、シンは当時からレーナを責めたことはなかったけれど。
 後々、そのことで傷付けてすれ違ってしまったこともあったけれど。
 でも、生き延びたなら、未来を望んで、先を見て欲しいと思ったから。望んではいけないものだと、呪いにならないように。
 血赤の双眸がこちらを向いて、そこに自分の顔が映り込んだ。視線を絡めたままシンは淡く笑んで、言葉を紡ぐ。
「けど、今日はちゃんと書けたから。やりたいことも、行きたいところも、見たいものも、今はいくつもあるから」
 レーナと一緒に。
 それにレーナは目を瞠って、ついで顔を綻ばせる。
 できるなら、彼が望む先に自分も一緒にいられたら、なんてことを思っていた時もあった。それは叶わないのかもしれない、と思ったことも。けれどシンの中でレーナがいることが当たり前になっていて、一緒に全てを望みたいのだと言ってくれることが嬉しかった。自分と同じ気持ちでいてくれることが、ただ嬉しかった。
「あの時、カイエが言ってたんだ。『いつか極東の国に行ってみたい』と」
「なら、いつか、わたしたちで行きましょう。……カイエの願いと一緒に」
〈レギオン〉に鎖されたこの世界で、その国がまだ残っているかなんて分からないけれど。全てが終わったその時には。いつか。
「ああ。そうだな」
 また二人で行きたい場所が増えて嬉しいと。言葉にはしないがシンの表情がそれを物語っていると、今この時だけははっきりとレーナにも分かった。

 ――願わくば、それまで。いや、その先もずっとずっと。
 
 
『シンといつまでも一緒にいられますように』

『レーナといつまでも一緒にいられますように』

end
2022.07.08 初出
2022.08.07 加筆修正