「レーナ」
静謐な声が、今は渇望を伴って名前を呼ぶ。
戦闘時には氷のような冷徹さを携える血赤の双眸に熱を孕んで、こちらを見つめる。そこに映るのは、自分の白銀だけで。
レーナは視線を逸らすこともできず、その宝石のような瞳を真っ直ぐに見上げた。まるで捕食者と獲物のようだ。
頬が火照り、この後に訪れるであろうことへの期待で胸が高鳴る。
はしたないと、常であれば思ったのだろうけれど。彼に求められることが今はただただ嬉しい。
胸元でぎゅっと拳を作り、そっと瞼を落とす。頬に大きな掌が添えられる気配がして、僅かに顔が上向きにされた。
吐く息が近くなって、少しかさついた唇がそっと触れて――――
「ちょっとレーナ!」
「ひゃっ!?」
肩を揺すられレーナががばっと顔を上げると、すぐ隣に呆れ顔の親友がいた。
何が起きたのか理解できずに周囲を見回すと、ここは自分の執務室で、座っているのは執務机の椅子だ。目の前には大量の電子書類が展開されたままになっている。どうやらお昼の後でうとうとしてしまったらしい。
「アネット、どうして……」
「ちょっと用があったから知覚同調繋いだんだけど、全然繋がらないんだもの。勤務時間中にレーナに繋がらないことなんて滅多にないから、様子見に来たわけ。ま、寝てただけなら良かったわ」
「寝て……た……」
ぼんっ、と音が立ちそうな勢いでレーナは耳まで真っ赤になった。
思い出してしまった。見てしまった夢と、彼の――――。
「他の子に見られなくて良かったわね――……って、あんた顔真っ赤だけど……変な夢でも見た?」
にやりと意地悪そうに笑うアネット。レーナはぶんぶん首を振り否定した。
「ちっ、違うのよ……! 変な夢は見てないから!」
つまり変ではない夢は見たのか、と一人納得するアネットにレーナだけが気付かない。
「はいはい、そこまでの元気があるなら大丈夫そうね。じゃあ、あたし研究室に戻るわ。……顔に服の跡付いてるから、気を付けなさいよ?」
「っ!?」
アネットが執務室を出ると同時、レーナは引き出しにある手鏡を取り出し顔を映した。たしかに薄らと、頬に線が見える気がする。遠目からなら気付かれない程度だが、なんてはしたない……と肩を落とした。
はしたないといえば。
先ほど見てしまった夢。目の前にいたのは、間違いなくシンだった。先日ようやく蟠りが解けて、他愛もない会話ができるようになったところだというのに。上官と部下であり、同じ戦場で戦う仲間でもある彼をあんなふうに夢で見てしまったことに、罪悪感と羞恥を覚える。
――今日これから、どうやってシンと話せばいいのだろう……。
それから数分後。
急ぎの書類を出しに来たシンとまともに視線を合わせることも、会話することもできず。
彼は一日気を揉むことになり、レーナは一日落ち込む羽目になった。
end
2022.06.20 初出
2022.12.22 加筆修正