『ヴァナディースより〈アンダーテイカー〉。――ノウゼン大尉、第二小隊以下に任せて一旦後退してください! その状態で戦闘を続けるのは無茶です!』
「ええ、分かっています。……ですが、――っ!」
周辺にいる〈レギオン〉の動きが変わったのを、シンはその異能で聞いた。
慣れた動作で操縦桿を引いて、〈アンダーテイカー〉が後ろに飛ぶ。
――着弾。
コンマ数秒前にいた地面が、戦車型の砲撃によって抉られる。風圧と立った土煙を利用して、一旦その場を離れる。近くにいた斥候型に一発撃ち込んで、更に距離を取った。
そうこうしている間に、離れた場所にいた戦車型の砲身が〈アンダーテイカー〉へ向く。けれどその照準が合う前に、高速徹甲弾が戦車型の真横に突き刺さり沈黙した。
『シン! あとはこっちで引きつける。さっさと退がってろ!』
同調越しに叫ぶライデンの声に、シンは一度瞑目する。
本当はこのまま、自分が後退するのは――嫌だけれど。機体の脚周りがもう限界な上に、最初に吹き飛ばされた際に頭を打ちつけてまだ眩暈がおさまらないし止血もできていない。更に〈レギオン〉の声がいつになく多く、吐き気をこれ以上堪えきれるのかも怪しい。それに――。
生きて帰ると。待っていると。約束したから。
「――悪い。任せた」
このままでは足を引っ張るだけになることも理解しているし、後方からでも索敵することは可能だ。だからそれだけ応えて、シンは〈アンダーテイカー〉を退がらせようとして。
「!? レーナ! 〈レギオン〉――おそらく重戦車型がそちらへ向かっています。すぐに〈ヴァナディース〉を後退させてください!」
救援任務だからと油断していたわけではないが、機動打撃群が本来あたる支援ではないし、連合王国の作戦から帰還した後で休暇前ということもあり、第一機甲グループのスピアヘッド戦隊しか出撃していなかったのが仇となったと、シンは舌打ちする。
それに、聞こえなかったはずの位置から急に亡霊の声が聞こえるのだ。おそらく電磁加速砲型のときに使われた手と同じ、どこかの陰で眠らせている機体へ換装しシンの異能を欺瞞しようとしている。それも一機ではなく、複数の〈レギオン〉が。だから異能にばかり頼っていると不意を突かれ足を取られる羽目になるし、シンはそれで最初吹き飛ばされた。
『っ! こちらでも今捕捉しました。射程範囲外への移動を開始しています。それから、先ほどブリジンガメン戦隊とノルトリヒト戦隊にも救援要請を出したので、もうすぐ到着するはずです』
「――了解。おれもすぐそちらへ向かいます」
焦燥がやや滲む銀鈴の声にそれだけ告げ、シンは後退すべく〈アンダーテイカー〉を走らせる。
〈ヴァナディース〉周囲には〈ヴァナルガンド〉もまだ数機残っているようだが、果たして重戦車型相手にどこまでもつか。
とにかく、せめてシデンたちが来るまでは〈ヴァナディース〉を――レーナたちを守らなければ。
しかし後退している間も鈍色に輝く亡霊は待ってくれない。シンの行く手を阻むように斥候型と戦車型数機、それに近接猟兵型が待ち構える。
シンは血赤の双眸で光学スクリーンを睨み、自然と、ほとんど本能的な動きで〈アンダーテイカー〉を操る。近接猟兵型の放ったロケットランチャーを避けつつ接近し、〈ジャガーノート〉の八八ミリ砲を照準。
撃発。
素早くその場を離れ、続けて斥候型に砲撃を食らわせつつ、近くの岩陰に隠れながら戦車型の方へ。駆動系に限界がきていることを知らせるアラートが鳴り響く中、それを無視して戦争中に破壊されたらしい建物の壁にワイヤーアンカーを撃ち出し這い登る。
仰角がとれずに戦車型が一瞬止まった隙を見逃すことなく、〈アンダーテイカー〉がその上に飛び乗り、無機質に光る装甲へ高周波ブレードを突き刺した。
沈黙を確認してから飛び退いて、追手が来る前に再び後方の〈ヴァナディース〉へ向かう。戦乙女の名を冠した白い機体は、斬り捨てた〈レギオン〉の流体マイクロマシンで銀色に濡れ、硝煙と土煙で煤けている。おまけに脚周りががたがたなせいで、まるで戦場を這うだけの死にかけの蜘蛛のようだった。
ただ、それでも。生きて帰らなければならないから。
こんなところで頽れるわけにはいかないから。
気を抜けば飛びそうな意識の最中。それでも前へ、前へ――――。
――ふと。〈レギオン〉の声が感知していなかった位置からまた聞こえ、
『え――――、』
その瞬間、ぷつりと同調が切れた。
「ッ!? レーナ……!?」
再び彼女だけに繋ぎ直そうとしても、銀鈴の声が聞こえてくることはない。意識を失っているだけならまだしも――……。
そこまで考えて、ぎり、と奥歯を噛み締める。まだ辿り着いてもいないのに、最悪の結果ばかり考えても仕方がない。逸る気持ちを抑え〈レギオン〉の砲撃を避けながら、けれどできるだけスピードを上げて後方へ向かう。
ようやく光学スクリーンに〈ヴァナディース〉が小さく映り、拡大して表示。
「な――……」
その光景に、シンは目を瞠った。
無惨に破壊された御料車。原型は留めているものの、装甲には穴が空き煙が立ち昇る。燃料タンクも破損したのか、どろりとした黒っぽい液体が漏れ出ていた。
予想していなかったわけではないが、実際に目で見てしまうとどうしてもインパクトが大きい。
それになにより。
あそこには。
レーナが。
当然のことだが、戦場で一瞬でも気を抜けばそれが命取りとなる。たったコンマ数秒で、大きく結果が変わってしまう。
そのたった、コンマ数秒。思わず唖然としてしまったシンは、その声を感知するのに遅れた。気付いた瞬間に操縦桿を倒したが、やはり遅く。
長距離砲兵型の一五五ミリ砲が、〈アンダーテイカー〉の脚部二か所を容赦なく破壊した。
「く……っ!」
砲撃によって機体が宙へ大きく飛ばされる。いくら共和国の駄作機よりはましとはいえ、脚部を破損した状態ではまともに着地などできない。それに、所詮は攻撃を避けることを前提とし安全性を度外視したアルミの棺桶だ。このまま落下すれば即死……とまではいかないだろうが、まともに動ける状態なのかは分からない。
重力に従って落ちていく機体の中、周囲を瞬時に確認して、頽れた戦車型の残骸を視界に捉えた。それと距離がある程度縮まったところでワイヤーアンカーを擊ち出し、残った脚部でできる限りの衝撃を抑え戦車型の上へ。それでも抑えきれなかった衝撃を全身に浴びて、痛みが走った。
「ぐ、ぅ、っ……!」
歯を食いしばって堪えつつ、ワイヤーをパージ。戦車型の上から転がるように地面に叩きつけられて、〈アンダーテイカー〉が完全に停止した。
アラートが鳴り止まないコックピットの中、シンはそろそろと息を吐き出す。それだけで肺が軋んで、頭をがんがん殴られているような頭痛が襲った。おそらく肋骨がいくつか折れている。両腕も痺れて手にうまく力が入らない。出血をそのままにしていたせいで意識が朦朧としていて、額から流れた血で片目はよく見えていなかった。
ふと視線を上げて、ひび割れた光学スクリーンを見る。と、どうやらそれなりに飛ばされていたらしく、眼前には〈ヴァナディース〉、それに相打ちになったらしい〈ヴァナルガンド〉三機と重戦車型が頽れていた。
幸いにも周囲に動ける〈レギオン〉はいない。ただ〈ヴァナディース〉を狙ったということは、おそらく狙いはその首だろう。そこに今回もシンがいないと判断したのか、今はライデンたちの方に向かっているようだが、そこにもいないと分かればまた戻ってくるかもしれない。
だから、その前に。
シンはキャノピを開けて、ベルトをナイフでなんとか切ってから外に出た。阻電攪乱型に覆われた空は暗く重く、辺りを闇で包んでいる。
一歩踏み出す度に吐きそうなほどの倦怠感を堪えながら、シンは〈ヴァナディース〉の前まで少しずつ進んだ。そうして時間をかけ、ようやく辿り着いた先には。
「っ、……レー、ナ」
必ず帰ると、待っていると約束した、彼女。
朦朧としていた意識が、彼女を目にした途端に少しクリアになる。
外まで這い出てきたのか、くたりと〈ヴァナディース〉の前でうつ伏せに倒れていた。月の光を宿した髪は煤け、特に後頭部は真っ赤な血がべったりと付いている。紺青の軍服もぼろぼろで、僅かに上下する背中だけが辛うじて生きていることを示していた。
シンは地面に膝をついて、細い首へそっと触れる。脈はまだあるが、出血のせいか体温がかなり低い。シンとていつもの体温に比べれば低いのだが、更にそれを下回る低さ。
思わず眉間に皺を寄せる。一刻を争う状況に、早く然るべき治療をと思った矢先だった。
「……シ、ン……」
遠く聞こえる砲撃の音に掻き消えてしまいそうなほど幽かな声。普通なら届かぬはずのそれが、シンの耳に届いた。
小さな頭が僅かに動き、シンの方を向く。髪の隙間から覗いたのは、綺麗な白銀の瞳。どこか嬉しそうに、ほんのり口角が上がった。
「! レーナ、生きて……」
「はい。……マルセル、少尉が……庇ってくれて……。ですが、もう…………」
もう、自分は助からない。口にはしなかったが、おそらくそう言いたかったのだろう。銀色の長い睫毛が伏せられて、血濡れた頬に涙が伝った。
「嫌です。こん、な…………」
出血量があまりに多いから、今から輸血をしてもおそらく間に合わない。――分かってはいても、つい、駄々をこねる子供のような声が零れる。
けれど、こんな無慈悲な、理不尽な最期など嫌だ。
約束したのだ。必ずレーナのいる場所へ帰ると。シンの帰りを待っていると。
――海を、見せたいと。
死はいつだって唐突で、理不尽で、誰にでも平等だ。
それは理解していても、彼女を失うのだけは嫌だった。誰の手によってでも、無慈悲に奪われてしまうなど、許せなかった。
未来など。自分のことなど何一つまだ見えない中で、それでもようやく望めた願いがあって。それを伝えたいと思ったのは、彼女が――レーナがいてくれて、手を差し伸べてくれたから、なのに。
彼女を守れずに、おれは。
ぽたりと、彼女の青白い頬に滴が落ちた。
地面に投げ出されていた繊手がそろりと動いてシンの膝先に触れる。分厚い機甲搭乗服越しで、その指先の感触が分からないのがもどかしい。
「シン……、泣かないで、ください」
言われて、シンは自分の目元に触れた。血と、見慣れない涙で指先が濡れている。動揺していると、弱々しく銀の鈴が鳴った。
「シン、わたし……あなたに会えて、幸せでした。うれしかった。……だから、最期に見るのが、あなたの顔で、よかった……」
「レー、ナ……おれは……」
胸が苦しくて仕方なかった。本当に幸せそうに微笑むから、ほっそりした指先をできる限りの力で握る。自分を置いて先に逝くなんて許せなくて、ここに留まって欲しくて。
けれどそれで引き止めることなどできるはずもなく。
「……約束、破って……ごめんなさい…………」
レーナは泣き笑いのような表情を見せてから、そっと瞼を閉じた。くたりと、握っていた手からも力が抜ける。
シンはその手を離せずに、うつ伏せたままの体をそっと仰向けにしてできる限りの力で抱きしめた。全身を刺されるような痛みが襲ったが、そんなもの構っていられない。――初めての抱擁だった。柔らかいのに、温度はほとんど消えていて、鉄の匂いの中に仄かにすみれが香る。拒絶されることも抱きしめ返されることもなく、ただただ虚しさだけが胸の裡に広がった。
「貴女は、ばかだ。……本当に、ばかだ……おれは――……」
気付くのはいつも失ってからだ。それでは遅すぎると知っていたはずなのに、この期に及んで自分の気持ちを自覚した。
彼女が、自分にとってどういう存在なのか。帰る場所になってくれた彼女と、どうなりたかったのか。
本当に伝えたかった言葉も言わせてもらえないまま、勝手に死んでしまった彼女が許せない。なにより、彼女を守れなかった自分自身が許せなかった。
今までにないほどの喪失感に、目の前が真っ暗になる。けれどこのまま彼女を放置するわけにはいなくて、シンの右手は無意識にホルスターの拳銃を抜いていた。
冷たくなった体をそっと横たえてから、慣れた動作でスライドを引き、真っ赤な彼女の頭に銃口を向ける。
あとはトリガーを引いて、〈レギオン〉に連れて行かれないようにすればいい。――何百回とやってきたことなのに、それが彼女相手だというだけでひどく怖かった。銃口がかたかたと震えて、引き金に掛けた指にうまく力が入らない。
息が苦しい。呼吸が荒くなって、真紅の双眸は見開いたまま焦点が合わない。
けれど、彼女を誰にも渡すつもりはなくて、
「――――――――――――――ッ!!」
声にならない叫びを上げながら、死神は引き金を引いた。
銃声が響く。銃弾が確実に彼女の頭に刺さって、赤色が地面に流れた。白銀の彼女には似合わない、血の色。
それを認めた途端、シンの体からも力が抜けてそのまま座り込んだ。シンとて重傷を負っていてすぐに治療が必要だったが、かなり無理をしてこの場にいる。だから張りつめていた気が一気に緩んで、忘れかけていた体の状態を思い出して頭がくらりとした。
このままでは長くはもたないと、朦朧とする意識の中でも分かる。他の戦隊が到着する頃には自分も息絶えているだろう。
カシャンと、再び拳銃のスライドを引く。――残弾は一。
人の魂は、死んでも輪廻の輪に取り込まれ再び命を与えられると言われているらしい。シンはそんなものを別に信じているわけではないが、もし本当に、そんなことがあるのだとしたら。
銃口を自らのこめかみに当て、シンは口の端を吊り上げた。
「……海を、今度こそ、」
生まれ変わって、必ず彼女を探してどこかで出会って、そのときにはきっと。
「レーナ……」
躊躇いもなく、死神は最期の力を振り絞り自ら命を狩った。
きっと、一緒に。
伝えきれなかった言葉と共に。
2022.09.19 初出