恥ずかしさと照れくささと幸福の間で

 船団国群からようやくリュストカマー基地へと戻ってきた、初日の朝。
 レーナはいつもより早く起床して、姿見の前で何度も身なりを確認していた。
 軍服のスカートが曲がっていないかとか。髪が崩れていないかとか。化粧は問題ないかとか。とにかく普段の何倍も気になってしまって、落ち着いていられなかった。

 ――じゃあ、迎えに行きます。明日の朝。

 昨日の帰路で、何気ない会話をしていたときにシンに――恋人となった彼に言われた言葉。
 明日の朝食は、いつも通り食堂で摂るのかと訊かれて。そのつもりだと答えたら、迎えに行くと言われて。
 その時は嬉しさが勝って、二つ返事で頷いていたけれど。
 迎えに来るだろう時間が近づくごとに、レーナは妙な緊張を感じていた。
 だって、恋人になってから初めての基地での朝だ。これまでだって何度か迎えに来てもらったことはあるけれど、恋人、となると少し話が違う。
 手を繋いだり……するのだろうか。
 思わず想像して、レーナは真っ赤になった。キスだって何度かしているというのに、今更、と思われるかもしれないけれど、恥ずかしいものは恥ずかしい。
 きゃあきゃあ、と一人でいっぱいいっぱいになっていると、こんこんこん、と控えめなノックが聞こえた。
 いつも通りの、静謐な声。
「レーナ、おれです」
「は、はい……!」
 ひっくり返りそうになる声を、なんとか抑えながら返事をして。
 最後にスカートの裾をもう一度整えてから、レーナはぱたぱたと樫材の扉に駆け寄った。
 
 
 ――じゃあ、迎えに行きます。明日の朝。
 言った時は、ただレーナと一緒にいたいという気持ちだった。
 けれど翌朝――つまり今日になって、言いようのない気恥ずかしさに襲われた。
 だって、恋人になってから初めての基地での朝だ。これまでも基地の案内だとか様々な理由をつけて迎えに行ったことはあるけれど、恋人、となると少し話が違う。
 理由があった時の方がもっとリラックスできていたのに、理由がなくなった途端に緊張感が増すのはどうしてだろうか。
 それでも迎えに行くと言った以上、待たせるわけにもいかないし。と、シンは自室を出て隊舎の最上階へと音もなく足を運ぶ。何度も歩いたことのある場所なのに、意識しなければ緊張で足が止まってしまいそうだった。
 分厚い樫材の扉の前まで辿り着いて、一つ深呼吸。それからノックをした。
「レーナ、おれです」
 声が震えなかったことに安堵していると、中からすぐに銀鈴の声が聞こえた。
「は、はい……!」
 ぱたぱたと足音が徐々に大きくなって、扉が開く。ふわ、と銀繻子の髪が僅かに広がって、紺青の軍服姿の彼女がひょっこりと顔を覗かせた。
「おはようございます、シン」
「おはようございます、レーナ」
 いつも通りの挨拶を交わして――視線が絡んで、思わず息を呑んだ。
 ぎんいろの瞳。
 この後、普段はどうしていたのかが思い出せない。何か言わなければと思うのに、舌がどうしようもなく乾いている。
 こちらを見上げる白銀の瞳には自分しか映っていなくて、そこに囚われたように動けなくなった。
 きっと時間にしたら数十秒。けれど体感ではもっと長い時間、そうして見つめ合っていて。
 ――先に動いたのは彼女の方だった。
 とん、と、体に小さな衝撃が走る。咄嗟に抱き留めてから、レーナが抱きついてきたのだと気づいた。
 心臓が早鐘を打つ。自分とは違う華奢な体に、力加減がまだわからないまま腕を回した。
 この脈打つ音は、きっと彼女に聞こえてしまっているのだろう。そう考えると居た堪れないけれど、今更腕を離そうとは思えなくて。
「……ちょっとだけ、恥ずかしい、ですね」
 とっておきの秘密を打ち明けるように、小声で気恥ずかしそうに言うレーナ。それに小さく頬を緩めながら、シンはこくりと頷いた。
「……そうですね」
 恥ずかしいし、照れくさい。
 けど、どうしようもなく幸せだと思う。
 直接こうして会えることも。言葉を交わせることも。触れ合えることも。
 ただ、それらを言葉にするには、まだ勇気が必要で。代わりに、シンは長い銀髪に鼻先を埋めた。

end
2025.11.24 初出