突然同調が繋がって、シンは手元の本から顔を上げた。
時刻はまだ昼を過ぎたところ。今日は〈レギオン〉が来る気配がないからと、スピアヘッド戦隊の面々は外でバスケットボールをしている。シンは近くのベンチに座りその喧騒を聞きながら、いつも通り気を紛らわすための読書をしていたのだが。
『ノウゼン大尉、すみません。今、よろしいでしょうか?』
銀鈴の声が鳴る。同調が繋がった瞬間から分かっていた通り、彼女だ。
定時連絡には早すぎるし、何の話だろうかと瞬く。
「ええ、問題ありません」
『ありがとうございます。これまでいただいた戦闘報告書を、また洗い直していたのですが――』
ハンドラーの、――おそらく同い年くらいの少女の話を聞きながらシンは思う。
ここまで細かい分析をしてもらえるのはありがたいが、この量の情報をいつ纏めているのだろうか、と。昨晩の定時連絡では何も言っていなかったし、あれから寝ずに分析していたのだろうか。
エイティシックスには死なせたくないと必死になっているが、彼女自身をあまり省みないなと、ここ最近気付いた。
「――その近辺の〈レギオン〉はこちらに向かってくる気配はありませんが、それより深部にいる部隊の一部がそこで合流しようとしている動きがあります。おそらく大攻勢までに固めておきたいのでしょう。今後も増える可能性があります」
『そうですか……。ありがとうございます、大尉。昼間からすみません』
「いえ。……おれは構いませんが、少佐こそ休めていますか? 今日は〈レギオン〉も動く気配がありませんし、もう少し私的な時間に割いてもいいのではないですか」
『今は戦時中ですし、貴方たちだけに戦わせておいてわたしが何もしない訳にはいきません。……いえ、実際できることなど少ないのですが、敵情分析も作戦の構築も指揮管制も、できることは全てやるべきだと思いますから』
できるのにやらないのは逃げることだから。それがハンドラーとしての責任だから。
多分、彼女はそう言いたいのだろう。
何度も言葉を交わすうちに、口癖のようによく聞くようになった。良く言えば責任感が強いのだろうが、分かりきった結末のために無理をして欲しいわけでもない。――その結末は、まだ伝えられていないけれど。
「……そうですか」
『大尉こそ、その……〈レギオン〉の声は大丈夫なのですか?』
「ええ。慣れていますから」
そう訊かれる度に伝えてはいるが、納得のいかない気配が同調越しにも伝わってくる。心配性というか、お人好しというか、頑固というか。
ふと、ふわ……と小さく息を吸い込む音がした。噛み殺そうとしたがどうやらできなかったらしい、欠伸の音。
シンは眉を顰めた。
「少佐、休めるならすぐに休んでください」
『あ……。すみません、聞こえてしまいましたか? でもあと一つだけやり残したことがあるので、それが終わったら――』
「少佐」
『……わかりました。同調を切ったら少し眠ります』
苦笑したらしい気配がして、かと思えば小さく笑う声が聞こえた。何か面白いことがあっただろうかと、シンは首を傾げる。
「なんです?」
『いえ。……大尉の声を聞いていると、なんだか落ち着くなと思って』
「え……?」
『――――あっ! あの、その……ええと、じゃあ、そろそろ切りま
ぷつりと同調が切れて、シンの意識に辺りの喧騒が戻ってくる。しばらく待っても再び繋がる気配はなくて、小さく息を吐いた。
急に、何を言われたのかと思った。心底安心しきったような、気の緩んだ銀鈴の声で。
そわそわと落ち着かなくて、紛らわせようと読みかけの本を開いても頭に入って来ない。けれど馴染みのない感情が生まれそうになる前に、シンは無意識にその先を考えるのを止めた。
深く息を吐き出して、抜けるような蒼穹を見上げる。
せめて今日くらいは、彼女が休めるように。それだけを祈って。
end
2023.09.13 初出