夢ではなくて、

 そういう予兆は、多分ずっとあった。ただ、今の関係を壊すのがお互いに怖くて、このままでいてもいいのではないかという気持ちがまさって、気づかないふりをしてきたのだと、今になって思う。
 きっかけは、進路を決めなければいけなくなってからだった。
 彼もきっと大学へ進学するのだろうけれど、どこの大学なのだろう。家の近くなのか、それとも離れたところなのか。国内ではない可能性だってある。
 もしも同じ学校ではなかったら、シンとレーナは高校が同じだった友人、くらいの位置に落ち着くのだろう。それが少し寂しいような、苦しいような。
 ――それが恋のせいだと気付いたのは、高校二年のホワイトデーが終わってから。けれど気付いたところでどうしていいか分からないまま、高校に入って三度目の春が終わろうとしていた頃だった。
 
 
 寄り道しないかと言われた学校の帰り道。
 朱色がきらきらと反射する川面。
 それを河原から眺めながら他愛たわいもない話をしていて、ふと、穏やかながらどこか緊張感の滲む沈黙が下りてしばらくのち
「――――レーナ、」
 反射的に隣の白皙を見上げると、いつになく真摯な赤い瞳とぶつかった。思わず息が詰まって、目も逸らせず声も出せないまま、胸元でぎゅっと手を握る。
 こわれてしまう。
 彼との関係が。今の心地良さが。
 そう思った途端に怖くなって、レーナはぎゅっと目を瞑った。……きっと言い出す彼の方が怖いだろうと理解できるのに、一人逃げるように瞼を落とす。
 なんて卑怯者だろう。罪悪感に苛まれていると、壊れ物に触れるかのようにそっと抱き寄せられた。――ほとんど初めてに近い抱擁に混乱する。シンの家で使っているのだろう、自分の家とは違う洗剤の匂いが制服から強く香って、その向こうにある少し高い体温を感じて、心臓がうるさく音を立てた。

「おれは――あなたが好きです」

 いつからか、なんてシン自身も分からないけれど。無意識に自覚しまいと韜晦し続けてきた気持ちはいつしか目を逸らせないほどに大きくなってしまって。
 言えばきっと彼女を困らせるから、今のクラスメートのままでいることも考えた。
 それに。
 どうするのが正解なのか分からないまま思わず抱き締めた、腕の中にいるぎんいろの少女をじっと見つめる。
 学校生活がつまらないとは思ったことなど今までもなかったけれど。でも、そこに色を添えてくたのは彼女で、学校へ行く楽しみが増えたのも彼女のおかげで。彼女にはいつももらってばかりで。
 だからもし、彼女にそんなつもりがなかったらどうしようか……とも考えた。
 それでもこのままいけばお互いに進学して関わることも減ってしまうのだと思うと、それは耐えられないということにも気付いてしまって。――だからこうして、正直に気持ちを伝えたいと思って。
 最初は閉じられていた瞼が開いて、白銀の双眸は零れ落ちそうなほど大きく瞠られている。そこに映るのは夕焼けの朱と自分の紅。
 それが嬉しいと思って、小さく深呼吸してから背中を押されるように続く言葉を紡ぐ。
「もし、進学先が違ってもレーナに会いたいし、その先も一緒にいたい。一緒に色んな場所へ行って、隣でレーナの笑った顔が見たい。――――できるなら、いつまでも」
 静謐さの中に熱を滲ませた声が降ってきて、レーナの目元に薄らと涙が浮かんだ。
 ――嬉しい。
 告げられたこともだが、同じ気持ちであることがなにより嬉しかった。
 ずっとずっと、貴方と一緒にいたい。貴方の笑った顔が、わたしも見たい。このまま離れてしまうのは嫌だ。
 でも、本当に?
 本当に、これは現実の出来事……?
 そう思った瞬間には、レーナは自らの頬をくいっと引っ張っていた。
「いひゃい……」
「………………何、してるんだ」
 呆れと動揺を同居させながらシンが問う。
「だ、だって。……夢、かと、思ってしまって……」
 シンが、そんなふうに言ってくれるなんて思っていなくて。
 都合のいい妄想ではないだろうか。同じ気持ちでいてくれたらいいと、無自覚に思っていたことが幻となって現れたのではないだろうか。
 するとシンは心外だ、とばかりに顔を顰めた。
「……そう言われると、さすがにちょっと傷つくんだけど」
 ごめんなさい、と咄嗟に言いかけてレーナは口を噤む。さすがにこの場面で言うのは要らぬ誤解を招いてしまう気がした。
「――で、夢だったか?」
「夢じゃなかった、です……」
 やや強めにつねった頬がまだ僅かにじんと痛む。夢ではなかった。ちゃんと、現実だった。
 浮いた涙が零れる。
 まだどこか緊張の色を見せる白皙のおもてに、早く伝えないと、と思う。自分もあなたと同じ気持ちだと。
 早く。早く――――。
 つ、と繊手がシンの肩へ伸びて、ローファーの踵が浮き上がる。血赤の双眸が見開かれた時には唇同士が重なっていて、けれどあまりに一瞬の出来事で何が起きたのかシンは理解できない。
 そんなシンを見て、レーナは花のように微笑んだ。
「わたしも――――」
 
 
 それから数十秒後。
 レーナは自分が何をやったのかを思い出して耳まで真っ赤になり。それを見たシンも珍しく僅かに赤面しつつくつくつと肩を揺らしながら、逃げそうになっているレーナを再びぎゅっと腕の中に閉じ込めた。

end
2022.10.31 初出

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夕暮れの河原でぎゅっと目を瞑ったまま抱き寄せられ、優しい声で普段言わないような愛の告白をされて、思わずほっぺたをつねる