夕食と入浴を済ませてからしばらく経った頃。ソファで並んで本を読んでいたレーナがうとうとと船を漕ぎ始めた。
今日も書類に追われていたようだし、さすがに疲れているのだろう。思って、シンは読みさしの本をパタリと閉じる。
「レーナ、眠いならそろそろ寝よう。明日も仕事だろ」
シンもレーナも、戦後処理のためにまだ軍に残っていた。ただ戦時中のような緊急出撃があるわけではないし、籍を入れて間もないということもあり、今は基地の隊舎ではなく隣街であるフォトラピデ市に小さなアパートメントを借りて二人で住んでいる。
入籍後はグレーテの好意もあって一月ほど休暇を貰っていたが、〈レギオン〉との戦争で多くの士官を失った連邦の人手が足りているはずもなく。今月に入ってから二人ともリュストカマー基地に復帰したため、ここから通っている。
グレーテは「新婚生活満喫中に悪いわね」と言いながらにやにやしていたし、ライデンには「基地でいちゃつくなよ」と明らかに揶揄われたが。なお、一応ライデンには蹴りを入れておいた。
閑話休題。
今にも瞼が落ちそうなかんばせをシンが覗き込むと、レーナは緩く首を振った。
「ん……もうちょっとだけ、待って……」
そうは言っても、開いた本は先ほどから取り落としそうになっているし、触れた手はいつもより温かい。明らかに眠いだろうに、どうしてそうも無理をして起きていようとしているのか……。
シンはむ、と眉を寄せて、ならばとソファから立ち上がった。
「え――、きゃあ!? シ、シン……!」
「あんまり無理するなら、無理矢理寝かせるから」
レーナの手元から本を取り上げ、背中と膝裏に腕を通して抱え、隣の寝室へとすたすたと移動する。その間にもレーナは拳を作って抗議していたが、鍛えられたシンの体軀では痛くも痒くもない。
寝室のダブルベッドへそっと下ろして、上からシーツをかける。それでも抵抗するように、細い指先がシンのシャツを掴んだ。
「だめ……ほんとに寝ちゃいます……」
「無理して体調崩したら大変だろ。普段からレーナは働き過ぎだし。おれももう寝るから一緒に――」
「あ……待って、あと十秒だけ」
「?」
あと十秒? 急に出てきた具体的な数字に首を傾げていると、白銀色の瞳がヘッドボードに置かれた時計を捉えてカウントダウンし始めた。数字が徐々に減っていき、残り五秒を切ったところで、あ、とシンは気づく。
レーナがどうして、無理にでも起きていようとしたのかを。
カウントがゼロになり、日付が変わった。
今日は――。
「――シン、誕生日おめでとう」
柔らかな銀鈴の声が、シンの耳に届く。
「最初に伝えられて、うれしい……」
花がほころぶように笑うレーナに、シンは血赤を僅かに見開いた。
一緒に住んでいるのは二人だけだから、起きてからでも最初に伝えられるのに。それでも、どうしてもこの時間に祝いたかったのだろう。
それに、嬉しい、なんて。こちらこそ――――。
自分のことのように本当に嬉しそうな笑みを向けるレーナに、自覚がないまま、シンの双眸が柔らかく弧を描いた。
「――ありがとう、レーナ」
いつも覚えていてくれて。たくさんのものをくれて。……帰る場所をくれて。
たったひとことでは返しきれないけれど、それ以上の言葉を選ぶことも難しい。だから結局、音にできたのはそれだけ。
代わりに、シーツに埋もれるレーナの背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。頬に口を寄せれば、くすぐったそうに鈴が鳴る。
「プレゼント、用意したんです。でも、リビングの方に隠していて……」
「じゃあ、明日……というか今日か。起きてからでいいよ。楽しみにしてる」
「はい……」
喜んでもらえるか分からないですが、と零す彼女に思わず苦笑した。
彼女から貰えるものなら、なんだって喜ぶに決まっている。毎年毎年、誕生日も聖誕際も、シンのために選んでくれているのを、もう知っているのだから。
目を合わせて、お互いの瞳に己を見て。
そこからは自然と、どちらからともなく顔が近づいて――唇が重なった。
end
2023.05.19 初出