勤務時間が終わり、そろそろ食堂へ行こうかという頃。樫材の扉から控えめなノックが聞こえた。
「レーナ、おれだけど」
聞こえた静謐な声に、知らずレーナの口元が緩む。ちょうど一緒に食堂でも、と思っていたところだ。浮き足立つような気分で駆け寄って、扉を開ける。
「シン、ちょうど……わっ」
開けたと同時。目の前に差し出されたのは花束だ。シンの瞳と同じ真紅の、鮮烈な五本の薔薇の。
思わずきょとんとしていると、くすりと小さな笑いが降ってきた。
「そんなに驚くと思わなかった」
「だって、花束が急に出てくるなんて思わなかったですし。それに……」
今日は何か記念日だっただろうか。考えかけて、花束を纏めているリボンの部分に目が留まった。
去年も見た、絹細工の赤い篝花――。
シンは微笑を浮かべながら肩を竦めた。
「バレンタインだろ、今日。……今回は、おれから」
ちょうど一年前の二月。まだレーナが連邦に来る前。連邦から薔薇の花束が贈られてきた。あの時は、赤と黄色と桃色と白と青の五色の花束。
後になってシンたち五人が贈ってくれたものだと分かって、それで五色だったのかと腑に落ちたのだが。
今回はたしかに、赤一色だ。シンの色彩の一つだ。
凛と咲く様が綺麗で、惹かれるようにそっと花束を受け取る。ふわ、と微かに甘い香りが鼻腔をくすぐって、自然と肩の力が抜けた。
「ありがとうございます、シン。とっても嬉しいです」
白銀の双眸を細め、真紅に見入る。花屋に並んでいるものを見ても綺麗だと思うけれど、恋人が選んで贈ってくれたものは更に特別に見えるのだから不思議だ。
――ふと、レーナは思う。
共和国でも連邦でも、バレンタインは男性から女性へ花を贈るのが一般的だ。ただそれが一般的というだけで、女性から男性へ何かを贈ってはいけない、ということはないはず。実際、東方の国ではそちらが一般的だと何かの本で読んだ記憶もある。
今から物を用意するのは無理だが、それなら。
「――シン、少しかがんてもらってもいいですか?」
「? ああ……」
微笑むレーナに不思議そうに瞬いてから、シンは言われた通り膝を折る。
普段とは高さの違う血赤の双眸に少しどきりとしつつ、白皙の面にかかる前髪を指先でそっと払って、覗いたそこへそっと唇で触れた。
見えたのは、ぽかんと小さく口を開けて目を瞠るシンの表情。僅かに耳が染まって見えるのは薔薇のせいか、それとも。
珍しい恋人の表情になんだか嬉しくなって、レーナはふわりと花が綻んだように笑った。
――あなたと出会えたことに、心からの喜びを。
――あなたと出会えたことに、心からの祝福を。
end
2023.02.14 初出