隊舎の前を通ろうとして、そこに銀色の影が見えた。シンは思わず足を止めて、隊舎の陰に隠れるように身を潜ませる。
そこからそうっと覗くと、やはり彼女だ。隊舎の南側、日当たりのいいその端の方で、何やらしゃがみこんでいる。あれはプランター……だろうか。
ここから出て行って直接訊けばいい話なのだが、共和国での作戦後からお互いに気まずい状態が続いていてなんとなく出て行きづらい。次の連合王国での作戦も予定されているし仕事の話はできているが、それ以外の会話がなくなってしまった。
今までのシンなら特に気にも留めなかっただろうそんな些細なことが、今は気になってしまって仕方ない。無論、そのことを本人は自覚していないのだが。
小さく息を吐いていると、視線の先でゆっくりと彼女が立ち上がった。長い銀繻子が、その横顔を隠すように風に揺れる。だからどんな表情をしているかまでは見えなかったけれど、一瞬覗いた口元が微笑んでいるように見えたのは、シンの幻覚だろうか。
そうして彼女はシンがいることにも気付かず、反対側の方へと姿を消した。
戻って来ないのを確認してから、シンはプランターが置かれたその場所へ音もなく近寄る。
「花……?」
プランターに植えられているのは、青々と茂った葉と赤い蕾のついた植物。きっと花なのだろうが、さすがに葉だけでそれが何という名の花なのかまで分かるほど詳しくはない。
……花が咲いた頃には、銀鈴の声を通して名前を聞くことができるようになっているだろうか。
***
早朝、着替えを終えたレーナは、隊舎南側に置いたプランターの前へ早足に向かった。青々と茂った葉と真っ赤に咲いた花が見えて、途端にレーナの表情も笑顔になる。
共和国の作戦から帰ってきた後、基地にたまたま来ていた花屋から買ったものだ。花は買ったことがあっても育てたことがなかったため少し心配ではあったが、これなら初心者でも大丈夫だと花屋の婦人に言われて。
結果、あまり念入りな世話をせずともこうして綺麗な花を咲かせてくれた。寒い時期は室内に入れた方がいいとも言っていたから、あと一月したら執務室に置いた方がいいかもしれない。
花が咲き始めてからというものの、毎日タイミングを見計らってこうして様子を見に来てしまう。自分で初めて育てた花がこうして咲いていることが嬉しいのと、――彼の瞳の色と同じだから。
「……レーナ?」
聞き慣れた静謐な声にぱっと振り返る。思い浮かべていた瞳がそこにあって、レーナの笑みが深まった。
「シン! おはようございます。ロードワークお疲れさまです」
「おはよう。レーナはここで何を……ああ、それ……」
ふ、と花と同じ色の双眸が優しく緩む。
「ずっと気になってたんだ、その花」
「そうだったんですか? ゼラニウム、という花ですよ。初めて花を育てたのですが、綺麗に咲いて良かったです」
「――――そうだな」
白皙の笑みが深まって、柔らかな視線を花に向けた。どこか嬉しそうな、愛おしそうな。
……花言葉の意味を思い出したのは花を買った後だったけれど、最初から彼の幸福を願っていたから。もし、それが届いたなら嬉しい。
思って、レーナも再び赤い花を見つめた。
end
2023.01.17 初出
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ゼラニウムを育てることにした。赤いゼラニウム。花言葉は「信頼」「尊敬」「貴方に宛てた幸福」。やっと咲いた花を見つめる表情が嬉しそうだから、幸福は届いたみたい?