ひとみを見せて

 談話室に入った瞬間飛び込んできた光景に、シンはイラッとした。理由は分からないが、なんだか面白くない。
 レーナが、ライデンの顔を至近距離で見つめているから。
 もっとも、ライデンは困り果てた表情をしているし、その隣に座るセオもげんなりしていて、周囲のプロセッサーたちもビクビクしながら知らないふりをしているのだが、視野が狭くなってしまったシンがそれらに気付くはずもなく。
 シンは音もなく奥のソファにいるレーナたちの方へ近寄った。
「……何してるんだ」
 誰が聞いても分かるほど、あからさまに不機嫌な声音。命令慣れした声は静かだがよく通るため、談話室にいるプロセッサーたちはびくっと肩を跳ねさせた。
 そんなシンの不機嫌さをぶつけられたライデンは、また面倒なことになりそうだと溜息を吐く。無論隠すつもりはなかったため、事のあらましを話そうと口を開きかけた時。
 レーナがぱっと嬉しそうにシンの方へ振り向き、興味津々に目を輝かせた。
「シン! ちょうど良かったです。シンも見せていただけませんか?」
「は……?」
 来て早々そんなことを言われ、思わず瞬く。けれどレーナは興味の方が勝っているのか、とりあえず座ってくださいとソファの空いている場所へシンの背中を押した。
 何がなんだか分からぬままにソファに腰を下ろしたシンが視線をふと上げると、眼前には白銀の双眸。
「っ!?」
 ――近い。
 よく分からないがこの近さは良くない気がする。レーナが好むすみれの香水が普段より強く聞こえてくるし、両肩には繊手が載せられ上から覗き込むようにしている。……とにかく近い。
 自分にとっては眩しいぎんいろの瞳。目を逸らしてしまえれば良かったが、あまりに真剣にこちらを見つめてくるためそれもできずにいた。昔の神話に出てくるメドゥーサに石にされるというのは、こういう気分なのだろうか。
 シンがやや混乱しながらそんなとりとめもないことを考えていると、ようやくレーナが口を開いた。
「シンは……なんだか星みたいな形をしていますね。とっても綺麗です」
「…………レーナ、いったい何の話ですか?」
 さすがに何を確認していたのか話して欲しくて、シンは訝しげに訊ねる。
 対してレーナは、どこか得意げな表情になった。
「先日読んだ本に、虹彩の模様は人によって異なると書かれていて。それで、の虹彩を見させていただいていたんです」
 シンとライデンも違いました。と楽しそうにしているが、シンにとって一部聞き捨てならない言葉があった。
「……いったい誰のを見たのですか?」
「えっと、アネットとシデンとライデンとマルセルですが……どうかしましたか?」
「………………」
 あまりの無防備さに、シンはなんとも言えない気持ちになる。好奇心旺盛で勤勉な彼女のことだ。ただ本当に数人の虹彩を確認したかっただけなのだろう。けれどそれを誰にでもするのだろうかと思うと、なぜか気分が重くなった。
 ただ、それを彼女に言うのも少し違う気がして、
「――なら、おれにも見せてもらえませんか? レーナの虹彩」
 口を突いたのはそんな台詞。
 あれだけ自分は勝手に観察していたのだから、こちらが観察しても文句は言えないだろう。
 レーナさきょとんとしてから僅かに頬を赤らめ、しばらくおろおろしていたものの、自分も散々見ていたことに思い至ったのか、拳二つ分の距離を空けてシンの隣に腰を下ろした。
「お、お願いします……」
 お願いしたのはこちらなのだが、とシンは微笑を浮かべて、必然的に上向きになった銀色の瞳を見返す。
 穢れることのない白銀。大きな水晶玉のような目は、ところどころ色が反射して小さく映り込んでいる。
 オレンジ、緑、青、赤……。白い瞼が下りて瞬く度、少し色合いが変わってきらきらと光る。
 宝石……というよりは万華鏡か。こうして改めて見ても綺麗すぎるそこに、自分が映っていてはいけない気がしてつきりと胸が痛む。けれど今更他に視線を移すこともできず、ガラスの欠片を散りばめたようなぎんいろの虹彩をじっと見つめた。
「し、シン……あの……。み、見えましたか……?」
「……もう少し、」
 見させて欲しい。そんなことを思っていると、二人の間におもいきりうんざりした声が落ちた。
「あー……二人とも、そろそろ灯火管制の時間だぞ。続きやるなら別の場所でやってくれ」
 ライデンの声にはっとして、二人の距離が一瞬で離れる。周囲を見れば、ここに来た時にいたはずのプロセッサーたちはもうほとんど残っておらず、先のライデンに加え、スケッチブックから絶対に顔を上げまいとしているセオと、談話室から出ようとしているクレナ(ちなみにその背中をアンジュが押して絶対に振り向かないようにしている)、部屋の隅で頭を抱えるマルセルくらい。
 どうやらここに来てから随分時間が経っていたらしく、レーナは恥ずかしさと申し訳なさが混ざった表情でおずおずと口を開いた。
「あ、あ、あの……その……。すみません、シン……長時間、みなさんの前で……」
「いえ……。それより、おれたちもそろそろ戻りましょう。明日もありますから」
「そっ、そうですね……」
 ようやく二人は立ち上がって、談話室を出て行く。
 その背中が見えなくなってから、セオが顔を上げた。
「大変だね、お母さん」
「お母さんじゃねえ。……つーか、お前らは俺に面倒ごとを押しつけすぎなんだよ」
「あんなの止められるのライデンしかいないでしょ。――っていうか、シンもレーナも早く自覚して欲しいよね」
 無意識にいちゃつかれたり殺意を向けられたりする身にもなって欲しいと、残った三人の大きな溜息が重なった。

end
2022.09.21 初出

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虹彩の模様が人それぞれ違うことを知ってお互いの目を覗き合う。お互い真剣で長時間見つめあってることに気付かず第三者にツッコまれる。