執務室のソファの隅で。ゆっくり、ゆっくりと手を動かしながら、レーナは目を細めた。
膝の上に乗る夜黒種の漆黒の髪は、見た目に反して柔らかい。焰紅種の赤い瞳は、今は瞼の奥に隠されて見えない。普段はどこか冷たさを感じる白皙も、眠っているときはその気配を潜めどこか幼く見える。こちらが年相応、なのだろうけれど。
このまま起きなければいいのに。……なんて、つい考えてしまう。このまま起きずに、自分だけの人であって欲しい。――そんな我が儘を言ったら、彼は呆れるだろうか。
襟を緩めたワイシャツの隙間から覗く、痛々しい首の傷跡。まだ、話してもらえないそれをいつか話してもらえるように、痛みを分けてもらえるようにと、指先で少しだけ触れる。
――と。長い睫毛がぴくりと震え、紅い宝石のような瞳がちらりと見えた。
「ん……レーナ?」
「はい。おはようございます、シン」
「……悪い。どれくらい寝てた?」
「ほんの十分程度ですよ。本当に疲れていたんですね」
少しは休めましたか? と再び頭を撫でると、シンの眉間に皺が寄った。以前こういうことをされるのは嫌かと訊ねたら、嫌ではないけど子供扱いされているようでなんとも言えない、と言われたことがある。慣れないから照れ隠しもあるのかもしれない、とレーナは思っているのだが。
微笑みながら手を動かし続けていると、シンはどこか諦めたように小さく息を吐いた。それからもぞもぞと身動ぎしたかと思えば、レーナのお腹側に顔を向け、両腕を腰に回しぎゅっと抱き付いた。
「し、シン……!?」
「あと五分。……五分したら起こして」
お腹の辺りで喋られて少しくすぐったい。おまけにぐりぐりと頭を押し付けてくるから尚更。
けれど滅多にない彼の甘えに、レーナは嬉しくなって破顔した。
「仕方ありませんね。あと五分だけですよ?」
「ん」
さらりと流れた短い黒髪に手を伸ばしゆっくり撫でると、すぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。
〈レギオン〉の声は今も聞こえ続けているはずなのにここまでとは。本人も気付かぬ間によほど疲れていたのかもしれない。
「……いつもお疲れさまです、シン」
だからどうか、この瞬間だけでも。やさしい眠りの時が過ごせますように。
レーナはそっと瞼を閉じて、どこかへ祈った。
end
2022.06.23 初出
2022.12.22 加筆修正