リュストカマー基地の隣街であるフォトラピデ市のアパートメントにシンと住み始めてから十ヶ月近く。夕食と入浴を済ませた後、二人で並んでソファに座って、読書や他愛もない話をすることが習慣となっていた。それはまだ名前と声しか知らなかった頃、知覚同調越しにしていた定期連絡のせいもあるのかもしれないし、ここ数年の基地での逢瀬のせいでもあるのかもしれない。
明日はレーナの誕生日だからとシンがディナーの予約をしてくれていて、二人で出掛けるため仕事は休みだ。だからつい夢中になって話し込んでしまって、気付けば時計は零時数分前を指していた。
ふわ、と出そうになった欠伸を噛み殺す。
もうさすがに寝なければ。明日もあるのだから。……そう思うけれど、シンと二人でゆっくりできるこの時間が終わってしまうことが惜しい。
戦争は終わって、いつ死ぬとも分からぬ戦場に身を置くことは、少なくとも直近ではない。だから尚更、また明日と言ってベッドに入っても後悔することは滅多にないはずだが、今話したいことは全て話しただろうかとつい考えてしまう。別離の心配ではなくて、また些細なことで、すれ違ったりしないように。
かちり。時計の針が動いた音を合図に、二人の間に沈黙が落ちた。
するとシンは後ろ手にがさごそと何かを取り出して、レーナの前に差し出す。
「レーナ、手出して」
慌てて出した両手の上に置かれたのは、綺麗にラッピングされた小さな箱。ぱちぱちと瞬いて血赤の双眸を見上げると、ふ、と柔らかく細められた。
「誕生日おめでとう、レーナ」
「……明日のディナーもあるのに、いいんですか?」
「それだけじゃさすがに足りないだろ」
これでも足りないと思ってるくらいなんだけど。
小さく足された言葉に、いったいどれほどプレゼントを贈ったら気が済むのだろうかとレーナは微苦笑する。誰よりも先に、シンの口から「おめでとう」の言葉が贈られるだけでも十分嬉しいのに。
「ふふ。ありがとうございます、シン。開けてみてもいいですか?」
「ん」
シンが頷いたのを確認してからラッピングを解き、赤いベルベットに包まれた小箱の蓋を開ける。と、中に入っていたのは一対のイヤリング。繊細なシルバーの花の意匠の中央に白い宝石が鎮座した、シンプルだが美しさと可愛らしさを同居させているもので、レーナは銀瞳をきらきらと輝かせた。
「わあ……! とってもかわいいです」
「仕事中は、さすがに着けられないだろうけど」
「ええ。でも、プライベートでは着けられますから。明日のお出掛けのときに着けますね」
また一つ明日の楽しみが増えて、レーナは顔を綻ばせる。
シンはレーナに甘いところがある。それは今に始まったことではなくて、恋人同士になった頃からずっとだ。すっかり甘やかされてしまっているなと自覚しつつ、そこについ甘えてしまう自分がいることも事実。無論、その分は後でシンを思いきり甘やかすつもりだ。
どんなお返しがいいだろうかと考えていると。
「レーナ、」
真摯な声が降ってきた。
視線を手元から上げると、燃えるような赤とぶつかる。こちらを射抜くような真っ直ぐな柘榴石の瞳に、どきりと心臓が音を立てる。
目を合わせたまま、シンは愛おしそうに微笑を浮かべた。
「生まれてきてくれて、――出会ってくれて、ありがとう」
視界がぼやけて、目頭が熱くなったのを自覚する。
そんなの。わたしの方が。
シンが言葉を残して、思いを託してくれたから、ずっと歩いて来られた。帰ってくると約束してくれて、海を見せたいと言ってくれて、いつまでも一緒にいきたいと言ってくれて。だからレーナだって、前を見て諦めずにいられた。
ぽたりと、涙が一筋落ちる。
その後を追うように流れる雫を拭って、レーナは隣に座るシンに思いきり抱きついた。
「こちらこそありがとうございます、シン」
あなたに出会わなかったら、今までの景色もこれからの景色も、きっと知らないままだったから。
end
2024.07.15 初出