こんばんは、shijimaです。
いつからだったか忘れましたが、たまにはお知らせばかりではなく自分について書こうと思い、「日々」なんてカテゴリをこっそり作っていました。
原稿に時間を取られてなかなか書けず、気付けば9月も下旬になっています。
年々、時間の経過がどんどん加速していくので「あっという間」という言葉がしっくりくるような気さえします。
特別このカテゴリで何を話すわけではないのですが、自分を振り返ったりしながら書いていこうかと。
もしよければお付き合いください。
周りの二次作家さんて、かなりたくさんの本を読んでいたり、何か一つについてものすごい興味を持って自ら率先して知識を得ていたり、大小あれど様々な経験を積んできているイメージが自分の中にあって、だからこそあれだけ多様な知識や語彙の詰まった、でもその人らしさを感じるような文章が書けているんだろうなといつも思いながら、他の方の作品を拝見しています。
じゃあ、自分はどうだろう?
振り返ったときに、言うほどそんなにたくさん本は読んでいないし、ジャンルの幅も狭い。
基本的に好きだと思って、興味を持って読みたいと思う幅が狭いせいもあって、同じ本を繰り返し読むことの方が圧倒的に多い。
それを意識的に変えてみようと、普段は読まないようなジャンルの本も買ったことがありました。
でも興味をそこまでそそられず、やっぱり最後まで読み切らずに終了。
結局いつも通り、狭い中の興味のあるものにしか手が出せませんでした。
確かに少しだけ人生の荒波に揉まれながら。
明日自分は生きているのか? 死んでいるのか?
不安に押し潰されながら過ごしてきた思春期でしたが、それくらい。
自分で言ってしまうのもあれですが、一応文章になっているものは書けていて、もっといいものが作れるようにと日々勉強している。
じゃあそのルーツはどこに?
考えてすっと出てきたのが、《音楽》でした。
昔から……それこそ、保育園の頃から親がVHSに録画していた頭文字Dをブラウン管テレビで見ていたので、アニメには親しみがあり、同時に、アニソンという意識は全くしていなかったものの、音楽には昔から馴染みがありました。
幼稚園の頃から……覚えていないだけで、本当はもっと前からかもしれないですが、カラオケで歌を歌うのが好きで、音を外さずに歌えたり、上手いねと親や親戚、親の友人に褒められるのが嬉しくて、歌うことがどんどん好きになっていきました。
当時の十八番は、犬夜叉のEDになっていたBoAの「Every Heart -ミンナノキモチ-」でした。今思えば幼稚園のときにこんなの歌っていたのかと……(笑)
童謡とかよりも、圧倒的にこういう曲を歌っていること、聴いていることが多かったですね。
小学校に上がってからも似たような感じで、多少一般的に知られている曲(コブクロとかSMAPとかとか)を聴いたり歌ったりもしましたが、興味はアニソン寄りでした。
何かを歌う、という行為自体が好きだったので音楽の授業も本当に好きで好きで。
そんな日々を過ごす中で、ある音楽に出逢いました。
昔からCALMP作品が好きだったので、小学生のときに「ツバサ・クロニクル」をリアタイしていました。
1話を見たときの衝撃は今でも思い出せるのですが、音楽の印象がとにかくすごかったんです。
その時に流れていたのが「ship of fools」というサントラなのですが、当時は特に作曲家を気にするとかっていうところに至らなかったので、頭の中でずっと曲が流れていたり、たまに造語を口ずさんでいたり。
「なんでこの曲カラオケにないんだろう? 他の挿入歌はあるのに」くらいにしか考えていませんでした(笑)
その出逢った音楽が梶浦由記さんまさにその人なのですが、きちんと名前を知って、ドはまりしていったのは中学生くらいでした。ちょうど「Pandora Hearts」とかやっていた時期ですかね。
その辺りでやっとFinctionJunctionというソロプロジェクトの存在を認識して、Kalafinaというボーカルユニットを認識して、See-Sawの存在を認識して、Yuki Kajiura LIVEなるものを認識して、他作品のサントラを認識して。
それからというものずーっと梶浦さんの音楽にどっぷりです。
詩も旋律もすごく綺麗で、綺麗なのに世界観が独特で、美しくて。
曲の中に、目には見えない空気をものすごく感じる気がするんですよね。旋律は明るいのに、なぜか哀しくなって涙が出てくるような……。
もう10年以上も梶浦さんの音楽を聴いているので、多分、私の中に染みついているものって少なからずあって、良くも悪くもその影響は、自分の作品にも出ているんじゃないかなと思っています。
私も、作品に漂う見えない何かを大事にしたいなと思いながら書いていることが多く、こんな雰囲気かな? と一応自分の中で作品ごとに切り替えています。
でも感じることって読んでいる人によって異なると思うんですよね。どんなに「こう!」って思っていても、読んだ人は「こっち!」って思っているかもしれない。
それでいいと思うんですよ。芸術ってそういうものですし。
もちろん私も文字書きですし、もっと文章でそういったものが表現できれば……とは常々思っていて、うまく伝わらなかったときは「悔しい……!」と思うし、伝わったら「嬉しい!」とガッツポーズしています。
ただやっぱり、文学も《芸術》の一つだと思っているので、いくら自分が「こう!」って書いていても、読む人によって哀しいと感じたり、楽しいと感じたり、涙が出る人もいれば、笑顔になる人もいる。
それでいいんじゃないかなって思います。
もしかしたら、最初に読んだときは楽しく感じたものも、後で読んだら哀しくなるかもしれない。
それが作品に触れる、ということだし、見てくださった方それぞれが、それぞれに何かを感じられる、何かを思える。
そんな作品作りをこれからもしていきたいし、できれば見てくださった方に、何かいい影響が与えられていればいいなと思いながら。
shijima